国際シンポジウムSPOLIA~建築・都市の継承と再利用

<「京都大学大学院人間・環境学研究科/国際シンポジウムSPOLIA~建築・都市の継承と再利用。西洋と東洋の比較を通じて」に、行って参りました。>

昨日の事。京都大学で行われた国際シンポジウムに行って参りました。

主な内容は、西洋(ヨーロッパ)と日本における、建築や都市景観にみる、事例を通した保存や再利用、保存活用の比較、検証するもの、といったものでした。

「西洋と日本の保存活用に対する違い」・・・。これは、あまりにも大きな違いがあるので、一言で言いまとめる事など出来ませんが、少なくとも、現代の現象として、かつて、それこそ「残すべきと広く公に認められうるであろう建造物~要は文化財指定を受けたもの」に注力し、保存する事が推し進められた歴史的検証物から、現代において西洋では方向性として、もっと「保存」対象を大きく広げてゆこうという動きがあるとの事。

例えば、すでに長きに渡って廃墟化したかつての都市全体を、国家レベルで大掛かりな再生計画の元、現存する建造物を生かしながら、活用してゆく、という事例。

また、ある都市において、かつての主体産業が衰退した廃墟建造物群を、現代の産業ニーズに照らし合わせ、全て解体するのでは無く、これまで既に現存している建造物を新たに活用し、再生する、という事例。

また、歴史の堆積を表す、全く異なる年代の建造物を、それぞれの時代に合わせた生活、もしくは産業ニーズに合わせて、コラージュ的に(つまり全面解体するのでは決して無く)調和させ、増改築する、という事例・・・など。

西洋における、国民全体の意識レベルが高い中では、「保存」もしくは「解体」の問題が起こった時に、逆に言えば、「何故残さなければならないのか」という説明を延々と、あれもこれも説明せずとも、つまり、「何故、ある建造物を残さなければならないのか」という、「何故」の説明の省略も、本当に、容易だろうな。「何故」の説明をすっ飛ばして(つまり、保存活用は基本ベースであるから)では、具体的にいかようにして残す方法論をみんなで考えるか、という、明らかなスタート位置の違いを感じてならない・・・そんな時間でした。

日本において。
建造物や景観の保存活用を唱えた時に、ちょっと、その反論資料の心得がある人(かつ、突き詰めれば論理的では決して無い内容)が真っ先に言う

台詞ランキング上位。その①
「日本は、地震大国だからね。」
確かに、日本は世界でも有数の地震国です。調べれば、世界ランキングで7位から4位と数えられる事があるようです。が、これは国土面積や人口、産業活動の盛んな国など、条件と照らし合わせるには実に複雑に思えますし、更に日本よりも上位にランクされる中国やインドネシア等、では、それぞれの都市部はともかく、地方ではそれぞれの国の文化色豊かな景観や建造物が広がっています。だから災害がひとたび起こった時の被害者数が甚大なのだ、と言う人も居ますが、果たして・・・

次に、よく言われる台詞ランキング上位。その②
「日本の建築文化は、壊す事ありきで成り立っているからね。」要するに、木や土、紙など、壊す事も、焼く事も、容易な建造物である事が基本だから、という事により、そこを基本にした思想があるから、西洋の思想とはそもそも相容れないんじゃない?そもそも、保存を前提とした思想が、日本人には古来から無いんだよ。という考えです。

さて。確かに、江戸時代などでは、例えば庶民の生活拠点である町家など、いったん火事が起きればその火元の両隣の家々を、街全体の延焼を止めるためにひき倒す事が出来るよう、考えられていたそうです。また、「式年造替」という概念により、例えば伊勢神宮など、ある一定の年数毎に、建て替えを行う事は皆さんもご存知でしょう。が、実は日本人には、古来より、それらの建材をリサイクル活用するという概念が、古来から脈々と続けられてきた事を、このような台詞を言い放つ人には、今一度知って欲しいと思います。

例えば伊勢神宮で解体された建材は、まさか廃棄される訳ではありません。このありがたい建材は、また違う場所の神社等の建材として利用されるのだそうです。そして、古い歴史を刻むお寺等にも、調査すれば建造年と異なる建材が、多く利用されている事が分かるそうです。もっと身近な所で言えば、町家にも、再生建材は多くみられるそうです。また、「引き家」と呼ばれる、かつてあった建物の場所から、ずるずるとそのままの形で、違う場所まで移設する方法も、かつては多くみられたそうです。移築という方法も、もちろん多く事例があります。

このように、実際には、古来より日本人が脈々と培ってきた価値観には、本来的には「使えるものを廃棄する」精神はありません。「使えるまで使う」=それこそ保存活用の精神が、本来には存在した筈だと思えてなりません。

自分の知る限りの様々な事例を考えた時、また、保存活用や再生方法の多様性や可能性を、今回のシンポジウムでたっぷり4時間に渡って見せられると、何故、例えば鴨沂高校の校舎について、全面解体しなければならないのか、その「何故」が一層募って仕方がありませんでした。

今回のシンポジウムが終了した後、パネラーにおられたイタリア人で建築保存の研究をされている、イバゲ大学/京都大学のオリンピア・二リオさんとしばしお話させて頂きました。

今日の講演はどうでしたか?と聞かれたので、
「現代において、例えば日本とイタリアでは、建造物や景観に対する保存活用の意識レベルはあまりにも差があるように思います。国民を始め、行政・国家レベルであまりにも違いを感じるのですが、どう思われますか?」と言ったら、「いや、イタリアでもまだまだ、行政や国家の対応には問題がありますよ。文化財指定を受けたものはまだしも、それ以外の保存活用については、まだまだこれからの段階です。」と言われました。

「まさか、自分もイタリアには行った事はあるけれど、とても次元が違うように思います。特に、第二次世界大戦後に大変な規模で瓦礫化した都市を、あそこまで、戦前の都市景観にまで再生された、その意識レベルは相当だと思えてなりません」。

加えて、「恐らくは映像等のイメージで描いておられた日本と、実際の日本については、いかがでしたか?」と尋ねたら、「勿論、ショックでした。あまりにも都市景観が、イメージとは違ったので」と言われました。「一番最初に訪れた時に最もショックだったのは、京都駅でしたね。外から来る人間にとっては京都の玄関である京都駅が、あんなにも日本の文化イメージと異なるとは、思ってもみなかったので。」「京都タワーも、ね」と。

そう言えば。
以前、私の家にしばらく居候していた海外の音楽家の人達も、同じ事を言ってたなあ、という事を思い出しました。「これまで色んな国に行ったけれど、おおよそ自国の文化をないがしろにしている都市部では、どうしようもないへんてこなタワーが建っているけどね」と。彼らを京都案内する時に、出来るだけなんとか駆使して、どうしようもない景観が広がる国道を避けまくってあげたら、その苦心がばれて、「ありがとう。バックストリート・ガール」と言われたな、という事も。

これまで、何度も日本に来ているオリンピアさん。日本の建造物のどうしようもないレベルの歯抜け具合や、崩壊する一方の景観については、「もう、慣れましたよ」との事。そう言われて、周囲一同笑ったけれど、本当は、笑えないんだけれどなあ・・・と、色々考えてしまった、そんな日曜日でありました。