卒業生インタビュー/ミュージシャン・リクオ

鴨沂高校卒業生、「ローリングピアノマン」と称され、年間約130本というライブスケジュールで全国を 巡るミュージシャン、リクオ氏をたずねて。

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<鴨沂高校で80年代を過ごして>

 僕のピアノとの出会いは小学生の頃。自宅に母親のピアノが置いてあって、元々音楽好きだったんで、そのピアノに時々触って音出してたんやけど、小4の頃に、近所で音大に通うロンゲで美人のお姉さんが、1、2週に1回、ピアノを教えに自宅まで来てくれるようになってね、それが大きなきっかけになった。そのお姉さんも学生で若かったから、教則本を一通りやった後は、当時のポピュラー音楽やビートルズの楽譜を与えられて練習したりしてた。

 岡崎中学に通う頃には、ロックバンドに憧れるようになっていて、同級生でギターをやってる奴がいたんやけど、「俺んちにオルガンあるから、一緒に演奏しようや」って言われて彼の家に行ってみたら、オルガンはオルガンなんだけど、小学校の教室にあるような、足踏み式のオルガンが置いてあってね(笑)。あれは、がっかりきたなあ。

 そんな感じで、最初はバンドのまねごとから入ったんやけど、本格的にバンドをやるために、どうしてもキーボード楽器が欲しくなって、中学3年の終り頃から新聞配達のバイトを始めてね。でも、なかなかほしい楽器を買える程のお金が貯まらない。そんなときに父親が、「半分お金を出したろう」って言ってきて。渡りに船やね。でも条件をつけられた。「絶対にプロになろうと思うなよ」って。もう、すぐにうなずいて、お金半分出してもらって楽器買って、高校の軽音部に入って、バンドをやり始めた。

 軽音部に入って、1年生の頃は積極的に活動して、学園祭でもステージに立って結構盛り上がったんやけど、だんだんやる気がなくなってきて、次第に音楽活動もフェード・アウトしていった。バンドをやってても、思ったほどモテなかった、ていうのも大きかったかな(笑)。結局本格的にバンド活動をはじめて音楽にどっぷりの生活になるのは、大学に行ってからやね。

 実は、鴨沂高校在学の3年間で、いい想い出って、そんなに多くない。いわゆる「恩師」と呼べるような先生にも出会わなかったし。思い出すと、当時の先生達から、あんまりやる気みたいなものを感じなかったような、なんだか諦めてるっていうか、モチベーションの低い先生が多かった気がする。ただ、そのお陰なのか、ほったらかしっていうか、あまり縛りつけない空気が当時の鴨沂にはあって、そういうユルさの中で居させてもらえたことが、結果的に良い面もあったのかもしれないなと、今になって思う。

 そうそう、先生で一人覚えてるのは、音楽の先生。若い女の先生で、なんだかちょっと、色っぽ くてね。休み時間になると、音楽室を解放してもらって、ピアノを弾かせてもらったり、先生と話したりしてた。学校の休み時間は、その音楽室と軽音の部室にいることが多かったなあ。

 僕は当時から夜型人間で、深夜ラジオを聴いたりして夜更けに寝ることも多かったから、授業中はほとんど寝てばっかりいるか、授業をさぼって、すぐ近くの御所の木陰で寝転びながらウォークマンで音楽を聴いてるか、本読んでるか、近所にあった漫画喫茶で漫画読みふけるか、そんな感じで学校生活を過ごすことが多かった。

 鴨沂高校での3年間は、なんだか悶々とばかりしてた気がする。でも、それは別に鴨沂高校がどうという訳で無くって、自分がそういう時期だったんだと思うし、そういう悶々とした気分でも居られる学校だったっていうのが、自分にとっての鴨沂高校の良さだったのかもしれない。「自分って何やねん」みたいな、そう簡単に答の見つからない事を堂々巡りで悩んでいる時に、ほったらかしにしてもらえてよかったんじゃないかと。特に何もしてくれないけれど、干渉もしなければ強制されることもない感じ。見渡せば、自分以外にもおかしな変わったヤツが結構居たよ。その頃は学校の中に普通科と商業科があって、それこそ色んな環境で育った生徒が同じ学校にいたのが面白かったし、よかった。

 私服登校で、休み時間は校外外出もできて、今思うと校則がユルくて、自由な校風だったなと。 ちょっと気だるくて、あまり活気はないけれど、結構風通しが良くて。きっと、あの学校の周辺環境も良かったんやろね。目の前は御所。近くに鴨川。街中なのに、緑が多くあって、ちょっと気分を変えたくなっ たら、良い空気を吸う事も、風を感じる事も、ぼんやり空を眺める事も出来る。そういう環境の中で、割と自由に、悶々とした十代を過ごして、自分と向き合う時間も持てたって事が、今の自分に結構な影響を与えてるん じゃないかって気がする。

<学校が全てじゃないって事を、教えてくれた学校。それが鴨沂高校だった。>

 僕は大阪の大学入学を機に、京都を離れて久しいから、今や、京都の事も、現在の母校の状況もよく分かっていないけれど、長い歴史と伝統に支えられていた鴨沂高校の対外的なブランド力みたいなものは、時代と共に落ちていってるんやろね。僕が在学していた頃には既にその傾向が始まっていた気がする。先生も生徒も、鴨沂の自由な空気をどう活かすのか、その方向性を見失いかけてたんちゃうかな。縛りが無さ過ぎてモチベーションが上がらないって言うか、自由さ故に疲れが生じてきたのか、ちょっと退廃的な空気もあったなあ。

 僕が居た頃の鴨沂がそのままの感じで続いていたなら、学力が低下して、偏差値が下がって、学校の人気が無くなるっていうのも想像は出来るよ。だからと言って、その流れを止める為に、規制を設けて規則でがんじがらめにする方向に向かっているのだとしたら、それは自分が通っていた頃の鴨沂高校とは別の高校やね。

 僕にとって、鴨沂での高校生活は、それほど楽しく弾けたもんではなかったけれど、風の通り道はかろうじて確保されてた気がする。今思えば「学校だけが全てじゃないって事を教えてくれたのが鴨沂学校」だったのかも。 逃げ場があったんやね。

 今の学生の人達には、在学中に、学校とネット以外の世界にもふれてもらって、人生の選択肢には思いのほか幅があることを感じとってほしいなって思う。悶々と自問する時間も大切やよ。きっと、これからのいい「溜め」になるはず。斜に構えて、分かったつもりでいたら損するよ。まだまだ知らんことばっかり。これからもっとおもろいことが見つかる。人生そんなに悪くないです。

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リクオ/プロフィール

京都出身。’90年にソロアーティストとしてCDデビュー。グルーヴィーなピアノスタイルと、ソウルフルなヴォーカル、切なさのつぼを押さえた楽曲で注目を集める。年間130本を越えるライブツアーで鍛えられたファンキーなライブパフォーマンスは、世代・ジャンルを越えて多くの支持を集め、いつしかローリングピアノマンと呼ばれるようになる。

’11年にウルフルケイスケと2人で全国30ヶ所以上をツアーしたことをきっかけに、’12年にウルフルケイスケらと4人編成のロックバンド「MAGICAL CHAIN CLUB BAND」を結成、同年10月にアルバム「MAGICAL CHAIN CLUB BAND」をリリース。’12年4月には29人のアーティストとのコラボ・ライブアルバム「HOBO CONNECTION Vol.1」(2CD+DVD)をリリース。アルバム発売を機に、コラボライブイベント「HOBO CONNECTION」を立ち上げ、世代ジャンルを超えて増々多くのミュージシャンとの交流を深めてゆく。

14年2月にはソロアルバム「HOBO HOUSE」発売予定。

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