鴨沂高校のお茶室を、今後も大切に思うために。

<今後の将来に渡り、語り継がれ、継承されるために。鴨沂高校に残る、お茶室について>

鴨沂高校の前身である、京都府立京都第一高等女学校であった時代において、学校家庭の連絡を密にする事を目的に、学校の活動や計画等を発表する機関として、大正15年、鈴木校長が就任されて1年後から刊行された「学校より家庭へ」。この機関誌は終戦の頃より続いたとされ、毎学期発刊されました。

そこで見つけた府一時代における昭和11年11月20日の号からピックアップ。

現在も鴨沂高校に残り、長年に渡り手入れも怠った事により、にじりも何も、トタンが打たれて見る陰も無い姿になっていたお茶室。

女紅場として開校された明治5年、当時は九条家屋敷跡に現存していたゆかりあるこの茶室は、現在の校地に移転された後も移築されたもの。江戸期までは茶は男子の教養とされ、明治期に至り女子教育に取り入れられたとされる、近代における茶道の歴史を語る、まさに礎と呼べるに相応しいこのお茶室ではありましたが、戦後この女学校が共学となった鴨沂高校に至り、いつしかその歴史もいわれも語られる事が無くなり、ついぞ近年には使われる事も無くなり、廃墟然としていました。

そこで今回の改築計画には、このお茶室も存続について明言もされず、一時は定例教育委員会でも「あんなボロボロになったものを今更どうしようもないでしょう。九条家のお茶室は御所内にもあるのだから」と見切りをつけられていたものの、今回の新築計画には一転、存続されるという見通しが立ち始めています。

この当時の記事に見ると、現在の校舎が新築される際、やはりいったんは存続があやぶまれたとされる茶室について、「其の原形を維持しつつ」「改修に関しては宗匠千宗室氏、親しく指導にあたられ、1千円(現在の貨幣価値でおよそ1千万円)を寄贈され改築完成する」とあります。

つまり驚くべき事に、この九条家茶室の保存改修にあたって、裏千家のお家元が直々に指導にあたられ、加えてお家元直々に改修費用を寄付された、という事。

このような驚くべき事・・・

一体、この女学校がどれほどの学校であったかという事が、分かるのではと、恐れ入る次第です。

今後はこのような歴史的な云われについても語り継がれ、その存在の誇りを心にされる事を願うばかりです。

加えて、今後の改修には、偉大なる先人のご意志に沿って、細やかな意匠に至るも、継承され改修されますよう、祈る次第です。