投稿者「鴨沂校舎を考える会」のアーカイブ

台風通過中。

京都は台風で荒れ模様。

遠巻きで居ればつい見逃しそう、知らないで済ませてしまう事ですが、

現在も鴨沂高校は勿論続いていて、そこには紫野グラウンドを合意形成無しで奪われた私服姿の3年生に、制服化からスタートした2年生、仮校舎が入学先の1年生が居ます。

確か専用グラウンドであった紫野には、夢がいっぱい語られている新設高校の建設が大詰めを迎えていて、来春には新築の鴨沂高校よりも先に開校されます。

かたや、高度成長期頃(の、世間でもよく言われる構造上最も問題が多いと指摘される時期の建物。)に建てられた、私立高校が捨てた校舎に押し込められた鴨沂生。また、この台風で、改善されていない雨漏り校舎が連休明けを待っているのでしょうか。

あらかじめ決められたシナリオで、それは圧倒的な強引さをもって、声もあげられない、ただ許容するしかない現実に、以下、在校生保護者さんからの声をシェア。

↓↓↓

「写真はかつての紫野グランウンド。

写真中央、建物が立っている奥がレフトの守備位置でした。

今の鴨沂高校の現状は

紫野グランウンドがあり、私服で本校舎に通っていた3年生

制服導入の2年生

仮校舎に移転してからの1年生と、十羽ひとからげにひとつのところに入っています。

お互いが口を塞ぎ問題を提議できなくなってしまっているように思います。

主体的に指示する人が不明で雑把なことになっているのか、それとも意図的にされているのでしょうか。

今の現状は予測されていたのでしょうか。

新しくなるであろう本校舎も実際にどんなものになるのか、不明確ですが、

より良い環境に整えられるのでしょう。

しかし今の仮校舎にいる子供達にとっては、よい環境を与えられてはいないと思います。」

<新制鴨沂高校による『京都文化コース』。少なからず、イメージしていたものと違う事を検証してみる。>

「『京都文化コース』を新設」。
この触れ込みを昨年のホームカミングデー、あるいは他媒体によって聞かれた方にとって、イメージされたものはどんなだったでしょう。
少なからず当方はこれを聞いた時、例えば地の利を生かしたディープなフィールドワークや、京都大学等を始めとした地元の各大学による「京都学」の取り組みに見られるもの、伝統工芸などの地元伝統産業に深く関わりを持つことや、伝統芸能に関わりを持つなどと言った、地元の小学校、中学校での体験を既に得ている高校生が、更なる発展的な体験を元にした内容になるのでは無いか、また、重点を置かれていた筈の自校の歴史を更に掘り下げた上で京都の歴史を知る・・・等、鴨沂高校の持つ様々なポテンシャルを最大に生かしたものになるのだろうか・・・そんなイメージでした。

以下、FBページ「鴨沂高校の図書館」さんによるシェア情報を見れば、どうやら、この度鴨沂高校に新設される「京都文化コース」の内容は、それとはかけ離れたものであるには違い在りません。

最もそれがこちら側のイメージと異なると感じたのは、それらはどうやらそれぞれに1回完結型の、体験コースである、という点です。
ここに京都市・京都観光推進協議会が作成している「きょうと修学旅行ナビ」というサイトがあります。これは、京都を修学旅行先とする他府県の学校また学生に向けた京都情報が、電子版ガイドブックとして各ジャンルに渡り極めて詳細に記載されており、カテゴリーとして「京都を学ぼう」「京都を歩こう」「京都を体験」に分けて、学び、歩き、体験することが出来る場を細かく紹介しています。
http://kyotoshugakuryoko.jp/index.php
このサイト内容を網羅すれば、このままでは地元である鴨沂高校生よりも、修学旅行生の方が「京都を知り、体験する」事に長けたものになるでしょう。

地元である事を生かすとすれば、または何が有利かと言えば、それは外側から見て触ってみるだけに終わらず、内側から時間をかけて、地元に馴染み、貢献しながら学ぶ事が出来る、という事では無いでしょうか。
このままでは、外側で祇園祭を眺めて終わりの、観光客や修学旅行生の得る体験レベルと変わりが在りません。祭りで例えるならば、その下準備から関わり、また取材し、地元と交流する事で初めて、それを語る事が出来る筈でしょう。

鴨沂高校の公式サイトには、この度の「京都文化コース」を軸に、「京まなび」として以下のように提議しています。(本文そのままを引用。)
『鴨沂高校では、京都のまん中・鴨川のほとりという立地条件の良さと、140年の伝統に培われた卒業生のネットワークを生かして、「京都文化」の学習を推進します(「京まなび」)。
そこでは、単に「京都文化」に関する知識の習得だけにとどまらず、「京都文化」のすばらしさを世界に向けて発信する技能や態度を身につけることを目指しています。
また「京都文化」には、「京都の伝統文化」に加えて、「現代の京都文化」、「未来の京都文化」も含まれ、京都に関わるさまざまな事象をあつかうのが「京まなび」です。』

世界に向けて発信する技能や態度。
このような高い目標を持って謳われるのであれば、今一度学校側の組み立てた献立を再検討しなければならないでしょう。このままでは世界に発信するレベルどころか、その後これらの学習をもってどんな進学先あるいは就職先が見つけられるかさえ見えません。
確かに、体験させ、様々なジャンルを見せる事は彼等に何か「きっかけ」のようなものを与えるかもしれません。
しかしながら少なからず京都でこれまで学生経験を得て来たものにとっては、これらは既に体験したものと、内容量的にはそう変わりはありません。
京都の高校生を、日本を知り、また世界へ羽ばたく人材に育てたいという大志を抱かれるのであれば、このような教育者側の小さな庭では決して果たす事が出来ません。

今後、「京まなび」というビジョンを具現化するべく、提供側のブレーンやアイデア力を期待しています。

 

 

鴨沂高校の図書館

「京都文化入門プログラム」後半の内容が公開されました。

鴨沂高校が来年度から本格導入する京都文化コース。今年の1年生が2年生になった時に、正式なコースとして発足します。今年はそのプレ授業として、「京都文化入門」がおこなわれています。プログラムを見て、ほぼ全てに共通する特徴をまとめました。
http://www.kyoto-be.ne.jp/ohki-hs/mt/school_life/pdf/H26kouhan_keikaku.pdf

ⅰ一般的に流通している京都イメージに沿って企画されています。
観光客目線の企画が多いように思えます。京都に住んでいる者の視点であったり、学問的な見方で京都を探るような企画がないのは残念です。

ⅱ教員が汗をかいたり、頭を使った形跡がありません。
手抜き企画がほとんどです。ネットで検索すればすぐに出てくる観光客向け体験コースをそのまま流用した企画や、オープンキャンパス・公開講座を高校生向けにしただけのもの、博物館に行って話を聞くというものなど、大半が外部機関への丸投げです。教員は仲介役をすればいいだけです。

ⅲ二番煎じ以下
既に何度もおこなわれているような企画を、そのまま流用しています。教員は、既成の企画を枠にはめていくだけです。

以下、各コースの詳細を検討していきます。

①「京都検定」対策講座
京都検定は趣味者向けに多数のテキストが用意されており、それを覚えることが重要です。裏を返せばそれだけです。

②「歴史・史跡FW(フィールドワーク)」
このFWは独自に企画されたものでしょう。しかし、中身は手軽にできる近場の遠足ばかりです。今の鴨沂高校では、京都や文化を語る際、すぐに大昔の話にもっていく傾向があります。ごっそり欠落しがちな近現代。はたして文化は無かったのでしょうか。

第1回:「山背国(やましろのくに)愛宕郡(おたぎぐん)出雲郷(いずもごう)を歩く」
出町柳周辺の石碑を巡るということでしょう。近場で簡単にできる遠足です。

第2回:「平安京と京都をつなぐ―東寺と『百合文書(ひゃくごうもんじょ)』―」
府立総合資料館にでも行くのでしょうか。東寺百合文書WEBには、使い勝手の良さそうな子ども向けサイトもあります。解説もあり、かなりの量がWEBで閲覧できますので、それらを切り貼りすれば授業の出来上がり!
http://hyakugo.kyoto.jp/kids

第3回:「150年目の蛤御門(はまぐりごもん)」
京都御苑の遠足となるでしょう。車も皇宮警察以外は入ってこないので、引率も比較的楽です。幕末好きですね。日程が11月15日なので、京都御所の一般公開には行かないみたいです。

③外部講師:竹内信行氏「色とりどりの七宝焼きを作ってみよう」
既に他校でも講義がおこなわれています。
http://www.kyoto-be.ne.jp/jonanryoso-hs/topics/page131024.html

去年度に教育委員会がおこなった出前授業の例に挙げられています。「京都文化コース」など作らなくてもよかったのではないでしょうか。
http://www.kyoto-be.ne.jp/kyoto-be/cms/?action=common_download_main&upload_id=2702

④鴨沂高校第3期卒業生速水醇一氏(京都大学名誉教授)(有機化学,放射線管理学)「ようこそ先輩!特別授業~五感に基づく化学実験を楽しもう!~」
京都文化入門ではなかったのでしょうか? 2万人を越える卒業生。京都文化に関係する人も多いはず。誰も呼べなかったということの裏返しでしょうか。

⑤「俳句の楽しみ」前田氏
国語の授業でやればよいのでは?

⑥「古都を測る」近畿測量専門学校教員
近畿測量専門学校の体験入学でも似たようなことをするみたいです。
http://www.kinsoku.ac.jp/cms/information/000581/

⑦「京のおばんざい・京の食文化」今井幸代氏
一般向けの料理教室をされている方のようです。
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_429736.html

⑧「京都の染織」上野真知子氏
こういう講座を高校生向けに依頼しただけのようです。
http://www.kyoto-seika.ac.jp/info/event/lecture/2014/04/10/22527/

⑨華道体験
様々な団体で華道体験教室の講師をされている方のようです。
http://ameblo.jp/taebrightlight/entry-11802823383.html

⑩「そうだ 京博(京都国立博物館)、行こう。」京都国立博物館職員
博物館に行って職員に教えてもらう。要するに、丸投げの社会見学です。そもそもこのキャッチフレーズ、JR東海の盗作ですね。

⑪「着付け体験」「三宅てる乃アカデミー」(9月20日)京都市内大学着付けサークルの学生さん(10月18日,11月15日」)
着付け教室と着付けサークルが来るようです。今のご時勢、着付け体験をしている団体はごまんとあります。学生サークルを呼ぶのは、予算を浮かすためでしょうか。
http://www.sunjerve.co.jp/academy.html

⑫「一条通り妖怪ストリートを訪ねて」FW 堤邦彦氏(精華大学人文学部総合人文学科教員)
怪談話のフィールドワークのようです。中身はそれだけかもしれません。そもそも、この商店街、他の数多ある商店街と同様、大型店舗に押されてシャッター通りとなっていました。そうした中で、人を呼び戻そうと商店街が考案したのが「妖怪ストリート」でした。そうした体験や事例、現在の課題などを学ぶようなFWならまだしも、これでは観光客が怪談話を聞いてきゃっきゃ騒ぐだけのツアーではないのでしょうか。

⑬「京菓子体験」京菓子司「笹屋吉清」店主
この体験教室、一般向けに毎週やってるみたいです。
http://www.shinise.ne.jp/exp/sasaya_y/index.html

⑭「アートしよう!」中井貞次氏
業界では有名な人物を呼ぶようです。しかし、一回きりの講義と実習のみ。そもそも、今の管理的な鴨沂高校とアートという言葉は、相容れないものではないのでしょうか。「枠内のアートであれば認める」といったところでしょうか。

⑮「茶道体験」本間宗壽
一回きりの茶道体験。もはや修学旅行のプログラムです。

⑯「『マンガの影響力』について考える」吉村和真氏
吉村和真氏の研究室はマンガミュージアムにあるようです。マンガミュージアムを見学して、吉村和真氏の講義を受けるとの事。要するに丸投げの社会見学です。
http://www.kyotomm.jp/about/imrc/staff/yoshimura-kazuma.php

 

上記の記事に対する卒業生のコメント↓

『「京都文化」って、いったい何なんですか?プログラムを見ると「俳句」というのがあるけど、その第一人者である松尾芭蕉は三重県出身で、日本中を旅して最後は滋賀県で余生を過ごしたとされています。京都にはあまり縁がない。無理やり京都に結びつけようとするなら、なぜ「和歌」にしないのだろうか。「染織」とか「七宝焼」は銅駝美術工芸高校で専門的にやってると思いますが、その真似事遊びをするのでしょうか?「京都検定対策」とか「着付け」だったら、専門学校や民間の「教室」のほうが絶対良い授業をやってくれると思う。「マンガの影響力」なんてのがあるけど、マンガの発信地は主に東京だと思います。なぜに京都文化?わからんなぁ・・・・』

「すいません。ほんの一部を除いてカルチャー教室の体験学習ですか?普段はどのようなことをしてるのでしょうか?京都検定は受験者数を増やすための対策でしょうか?中味を知らずして入学してきた生徒らがかわいそうに思える。」

「京都文化コースはただ単に一類文系を類型制度廃止時に少しでもよく見せようとそれらしく名前をつけたようにしか見えない、です。あまりにも特徴がないですね。」

1987年。Our School OHKIの表紙。

「実は結構佳作が多い。鴨沂発・冊子もの表紙。」その②

             ♢

こちら、生徒自治会が年1度発行してきた「Our school OHKI」。正門が描かれたものは昭和62年のもので、表紙は鴨沂・美術部が、裏表紙や中の挿絵については商業美術部が担当しています。

さて、こちらお馴染みの九条家ゆかりの正門ですが、元々は校舎改築案では別の場所に移築し、お飾りの門、つまり門としては使わないというプランであったものが、なんとか現在地のままに存置されるプランに変更されました。ところが、今だ元々の行政側プランに固執されてか、この門はこの場所のままに、開かずの門、つまりお飾りの門にする、というプランで計画が成されているのはあまり知られてはいません。(こうした説明は、校舎解体時における住民向け説明会にて府教委側からあったそうです。)

理由は分かりませんが・・・これまで通りに開かれた高校、という事で開けっ放しには今後しない、という事がまずありきで、それならば常時開閉し、管理するのには都合が悪いから?なのでしょうか。この重厚感のある門が、こうして絵の時のように開け放たれている時の景色は実に、寺町通りに馴染んだ光景です。

こうした立派な御門を持った周辺の寺院や御所を思い浮かべて下さい。多くの文化財を保有しつつ、多くの不特定多数の訪れる人をお迎えする。管理をおこたらずも自由な空気の流れを確保する事はきっと出来る筈です。

この絵に見る事が出来る光景が今後、失われる事がありませんように。

「仰げば尊し」。あるクラスの記憶。

1978年卒業生における、ある1クラスの「仰げば尊し」パレードに至るまでの記憶と共に、その意義や思い、そこで得たかけがえのない仲間との日々を書き記して頂きました。そこには、難解なイデオロギーやその存在の重さ、伝統行事としての堅苦しさを感じない、鴨沂高校生の等身大の思いや、そのリアルな姿が浮かびます。ーーー

他の学校にもそれぞれ伝統行事があるのだろうし、何も「仰げば」だけが特別なものだとは思わない。たまたま入った高校にそういう変なイベントがあって、たまたま巡りあったクラスメイトたちと一緒にそれを体験したというだけの話。

どうしてもやらなきゃいけないとは思わなかったし、後代に引き継がなければ、とも考えなかった。みんなで思い出を作ろう!なんて意気込んだわけでもない。「この村に生まれたんだから、まあ村祭りには参加しとくか・・・」ちょうどそんな感じで、高校生の僕は「仰げば」に向き合っていた。

クラスメイトのほとんどは、それと同じような気持ちだったと思う。

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当時はリベラルな考えを持つ人々が生徒自治会の役員を占め、それに対立する人々との間で論争が繰り広げられていた。ノンポリの僕はそんなことまったく無関心で、授業をサボっては雀荘や喫茶店やライブハウスに入り浸り。生徒部教師が言うところの「“自由”を履き違えた」高校生活を満喫していたのだった。

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クラスの仰げば実行委員を決める際、自ら名乗り出る声はなく、ヒマ人と見られていた僕が実行委員長に推薦された。こうなりゃ、まあ仕方がない。どうせなら楽しくやりましょうよと、軽いノリで引き受けた。

とは言うものの、僕自身はこれまでから「仰げば」になんてあまり関心がなく、先輩たちがどういうふうにやって来られたのかもちゃんと見てなかった。行事の全体像がうまくつかめない。さて、困ったときは人頼みだ。設計、制作、衣装、アピール、会計など、それぞれの部門に責任者を置いて仕事を任せ、自分はその間に入って連絡調整みたいなことをやってればいいと考えた。リーダーシップのカケラもない委員長。各部門の責任者も、「まあ、しゃーないなぁ」という感じで引き受けてくれて、なんとか実行体制は整った。

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ところが、いざ企画会議を始めてみると、いろんな意見が出るわ出るわ。誰かがアイデアを出すと、「それならもっとこういうふうにしよう」「いや、こっちのほうがいい」「俺はここの部分を作るよ」「だったら私はこれをやるわ」ってな具合で、トントン拍子で話が進んだ。なんや、みんなけっこうやる気あるやんか。

企画会議を何度も重ね、各部門からの意見を調整したり、予算の配分をやりくりしたりと、けっこうハードな毎日だった。話し合いを通じて、これまで表に出てこなかったみんなの個性が見えてきた。それぞれが自分の得意な分野で仕事を分かち合った。予算経理では商業科のすごさを知らされた。まだ山車の制作にも取り掛からないうちから、打ち上げコンパの日程まで整った。

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山車や衣装の制作は順調に進み、これまで無関心だった人々も、やがてその輪に加わってきた。休日もみんな集まって山車の制作。お昼は持ち寄りの弁当でお食事会。担任の湯山先生もときどき覗きに来られたが、不要な口出しはせず、激励のお言葉やありがたい差し入れを下さった。ほんとに楽しい毎日だった。

こうして山車も衣装も、すばらしいものが出来上がった。そしてクラスメイトの仲は、これまでになく親密なものとなっていった。

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僕たちのクラスのテーマは「鴨沂の自由」。「自由だ自由だなんて言いながら、実はそうでもないじゃないか」というアピールで、情けない顔をした自由の女神を制作することになった。衣装は当時流行っていたピンクレディー風。男子の衣装は丈が短くてローマ時代の戦士みたいだが、女子のほうはやや露出度が低く、激しく動いてもはだけたりしないよう、それなりに工夫されている。

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自由の女神のキャラクターを考案したHくんは美術系の大学を出てNT堂に就職し、今や著名なゲームクリエイターとなった。骨組みを設計したNくんは工学系の大学を出て、医療器械メーカーの技術者に。衣装をデザインしたNさんは、服飾デザイナーを経てスタイリストの学校の先生になった。運行隊長のKくんは、今も京都中のいろんな神社で神輿を担いでいる。みんな高校生の頃から、それぞれが持つ才能の片鱗を見せていたんやね。現在、こうした人々がもう一度集まって「仰げば」の再現に取り組めば、そりゃもの凄いものが出来上がるだろう。

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そもそも、いろんな人材が寄り集まっているというのが、鴨沂高校のすばらしいところだと思う。演劇コンクールも同じだけど、幅広い人種が集まってこそ、各個人がそれぞれの持ち前を発揮できるし、そこには思いもよらぬ大きな成果が集積されるのだ。

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僕自身は「仰げばはお祭り!」と認識していて、本来の目的である「市民へのアピール」ということにはあまり関心がなかった。演説の内容は担当のWくんに「好きなようにやっとれ」と任せっきり、プラカードも各人がそれぞれ好きなことを書いた。そのため、「鴨沂の自由」というテーマから逸脱したプラカードも多く、中には「カーテンつけろ」なんて、ささやかな要求を掲げる者もいる。

まったく統一感が見られないアピール活動ではあるが、僕自身としては、これでよかったんじゃないかと思っている。各人がそれぞれ自分のスタイルでイベントに参加すればよいし、みんなを無理に統率しようとしたり一致団結を求めたりするのは、何だかイヤな感じ。表面的にはバラバラでも、心の中にある何か大切な部分を少しでも共有し合うことができれば、それで十分ではないか。弁解じみた話だが、そういうふうに思うのだ。

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巡行当日。運行隊長のKくんは、何ともガラの悪いサングラスを掛け、両側に美女を従えて上機嫌だ。みんな楽しそうな笑顔を見せている。女子の衣装は、履物から髪飾りまでコーディネートされ、なかなか素敵だ。個人的な好みを言えば、もう少しミニ丈だったらいいのにと思ったりもする。

のちには車輪付きの山車に変更されたと聞くが、僕らの頃は山車と言っても車輪がなく、神輿のようなものをみんなで担いでいた。これで長い道程を歩くのだから、担ぎ手の男子はけっこう大変だった。軟弱者の僕は、途中から担ぎ役を離脱し、ホイッスルを吹いて指揮をとっている。ここでようやくリーダーらしい役回りだ。(笑)

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 終着地点の北運動場。Wくんの演説が響く中、最後の力を振り絞って山車は全速力で駆け回る。このときのことは、まったく覚えていない。テンションが上がり過ぎて頭の中が真っ白になっていたのだろう。ずっと大きな声を出し続け、喉がカラカラだった。

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すべてが終わったあと、クラスメイトとどういう会話を交わしたのかも、まったく記憶にない。たぶん「あ~、疲れたなぁ」とか、そんなところだろう。実際のところ、多くの会話は必要なかったのだと思う。僕たちの間には、言葉では表せない不思議な連帯感が生まれていた。それは惑星間物質のように薄く広がり、個々それぞれの意識を持つ僕たちを柔らかく包み込んでいった。

それは神社の祭事のように伝統的な精神世界に属するものではないし、デモ活動のような共闘意識とも異なる。強いて言えば、音楽ライブのアンコール時に味わう会場一体感に近いもの。しかも、それは舞台から客席へ向かって投げられたものでなく、自分たちですべて作り上げてきたものだ。「団結」や「集団行動」を嫌う僕にしても、この心地よい連帯感は生涯忘れることのできないものとして、胸の奥深くに仕舞い込まれている。

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学園祭が終わったあとも僕たちのクラスは盛り上がりを持続し、コンパを2回開催した。みんなで卒業文集も作った。そこに僕が記した「仰げば回想録」から、最後の一文を引用しておこう。

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高校生活での最大の収穫は、やはり数々の仲間にめぐりあえたということです。

 「友情」などと堅苦しいことを意識せず、単に「仲間」として多くの人々とつながりを持てたことをうれしく思います。みんな個性豊かな人たちばかりで、それぞれの将来については非常に興味を感じます。

今後も「高校時代の友人」ではなく、「高校時代からの友人」として、いつまでも仲間でありたいものです。

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僕たちは今も数年に一度は同窓会で顔を合わせ、懐かしい思い出を語り合っている。また、そのうちの何人かとはFacebookの「友達」として、日常的に会話を交わしている。同級生の中には、先に紹介したほか、交響楽団のバイオリン奏者もいるし、東大を卒業して何だか難しい数学の研究をしている人もいる。銀行員もいるし、幼稚園の先生もいる。普通のサラリーマンや専業主婦もいる。

みんなそれぞれ別々の道を歩み、人生半ばをとっくに越えた。もうジイちゃんバアちゃんになった人もいる。懐古癖の強い僕はよくノスタルジーの世界に逃げ込むが、そんなときまず母校の風景が脳裏に広がり、仲間たちの笑顔がありありと浮かんでくる。成長過程の大切な時期を過ごし、現在の自分が作られてきた原風景みたいな場所。「思い出」と呼ぶには鮮明すぎる記憶の数々を、ずっと大切にしていきたいと思う。

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第30期(1978年)卒業生  3年8組  徳田 寿

↓当時の文集より、「仰げば尊し」パレードまでの制作日記。

 

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残るは校名ばかりなり。

FBページ「鴨沂高校の図書館」さんより情報をシェア。

「言葉の組み立て方。乱れてませんか?今一度点検しなさい。」

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【新生鴨沂高校】かつて大学とも比較された自由の校風は、田舎の中学校にも引けを取らない管理の校風へ

 制服化が進む鴨沂高校。生徒指導部が学内に掲示していたビラをシェア。まずこの文書、言葉が統一されていません。ですます調と、であるだ調を混ぜるなと、国語の授業で習わなかったのでしょうか。敬語を使ったかと思えば、その直後には命令形が続きます。

 ビラの中身は全て服装規制です。細かいことに目を光らせているのがわかります。いつから教員は制服のチェックが仕事になったのでしょうか。こんなことばかりしている教員から、はたして何を教えてもらうのでしょう。文章能力がなくても教員になれるということを教えてもらうのでしょうか。

 鴨沂高校は大学街のすぐ近くに位置していたこともあり、かつては大学生と勘違いされることもしばしばあったと聞いています。私は2007年に卒業後、大学へ進学しました。一流と呼ばれるような大学でも、鴨沂高校より管理的な校風の学校があることに驚いたのを覚えています。自由な校風では大学にも引けを取らなかった鴨沂高校。今では田舎の中学校と競争してるのかと思うほど、がんじがらめの服装規制が始まっています。