カテゴリー別アーカイブ: 鴨沂高校、メディア掲載

NHK京都放送での鴨沂食堂取材。

http://www.nhk.or.jp/kyoto-blog/essay/274966.html

「同じ釜の飯を食う。と言うこと。」

昨晩に触れました、本日のNHK京都放送「京いちにち」。
鴨沂の名物学生食堂、前川ご夫婦がフューチャーされていました。ご覧になられましたか?
映像にも映っていました鴨沂野球部さんの夏は、初戦にまさかの超強豪校と当たって残念でしたが、映像では(録画ですが)部員の皆さん、いい顔されてて、元気そうで、良かったです!

しかし前川ご夫婦。相変わらず、本当にお元気そうなご様子で、ほんと、いい顔されてて何よりです。時代が変わっても、在校生らに続けて愛されておられて。。。なんだか、グッときましたね。
工事が終わって元の校舎に帰ってきても、変わらず鴨沂でお会いできますように。どうぞその笑顔と美味しい学食で、みんなを迎えてください。
いつもありがとうございます!

 

 

NHK京都放送にて。食堂取材です!

「明日のNHK京都放送で」

久しぶりの投稿。大変ご無沙汰しております。
工事中の鴨沂校舎も、外側から望むに大きな変化もなく、近くの噂の億ション等が着々と形を成すなか、どうなって居るのやら。。。わからないままの月日が流れています。
さて、そんな中での久々の朗報。
鴨沂のリアル歴史物語を誰よりも知り、そして誰よりも愛を持って尽くしたであろう、あの(!)、名物学食・前川さんご夫婦。
今や長い歴史の鴨沂を継承し続けてくださって居るのは、この方らの存在だけ、と言っても、過言では無いかもしれないですね。
そんな鴨沂の学食が、NHK京都放送局「京いちにち」にて、放送されますよ!

7月11日(火曜日)
『ガクメシ』鴨沂高校
〜学食一筋37年!愛情いっぱい夫婦のガクメシ
夜6:30から7:00の番組枠内

キャッチコピー読んだだけでもグッときますね。。。37年!
これからもずっとずっと、前川夫婦のレジェンド学食、続いてほしいものです!

明日の放送、要チェックですよ!
http://www.nhk.or.jp/kyoto/news630/

本日の京都新聞記事より

女学校時代の映像が復元されたとのニュースが掲載されました。

是非見てみたい!それが率直な思いです。そして、何故今にして、というのがついついの記事裏読み。昔の映像がデジタル化された、というお話は全国の歴史ある学校で時々耳にします。大抵はどこかの大学の研究や協力あってという例が多いですが、記事を読む限り、いつ、どこで、誰が、という明確な内容が見えてきません。

映像が今迄これほどまでにあったなら、言葉を替えれば今迄てこ入れもされてこなかった、ありながらにして放置されていた、という事になります。勿論、今回のタイミングにて埋もれて劣化して消えてしまわなかった事はせめてもの救い、今後は教育の中で活かされるというのは当然と言えば当然の事です。そして当時にしてみれば大変貴重な映像というものが存在しているのであれば、静止画である写真も、学内には勿論大量に存在している筈でしょう。こうしたものと照らし合わせて検証し、本来ならばついこの間まで現存していた校舎群らに実際に触れて、見て、置き換えながら、歴史を辿ればどれほどの学習となったかを想像するに、無くされたものの貴重さが一段と身に沁みて来ます。

そしてこの教育の歴史の生きたレジェンドの中で、我々はどれほど深く、誇りに思う事が出来たかと。

大河ドラマに朝ドラと、次々制覇の母校ですが、それらが繋がれ、今日に至る鴨沂の年月。本物が大方無くなってしまい、あるのは映像のみ。「昔は凄かった」、では終わらないように、途中も今も興味深いと、そう思えますように、心から願うばかりです。

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きっと知られざるドラマの登場人物は、まだまだある。何故なら、過ぎた歴史は長いから。」

NHK連続テレビ小説「あさが来た」。御覧になられている方もおられると思いますが、主人公白岡あさの娘・千代が通う女学校。その女学校のモデルとなっているのは、ドラマでは京都白川高等女学校、となっていますが、こちら、鴨沂高校の前身である京都第一高等女学校だと言う事は、皆さんご存知でしたか?

大河ドラマ『八重の桜』に朝ドラと、こういうピックアップがもう少し早い時代にあったなら・・・多くの卒業生も在校中は随分、鼻が高かった事でしょうね。

さて、以前、その当時の女学校が発行していた通信誌「学校より家庭へ」を読み調べていた時、見た事のあるお名前が図書館への本の寄贈者の中に見つけました。しかしまさか、ただ同姓同名だろうなあと思って時が過ぎていたのですが・・・。

「蜷川虎三」。元経済学者であり、京都で昭和25年から7期28年に渡り京都府知事をつとめた政治家。亡くなられてずいぶん経ちますが、良きにつけ悪しきにつけ、ちょっと昔なら近所のおばさんからタクシーの運転手さんまで、京都がこうなったのは蜷川さんのせいだ、京都がこうあるのは蜷川さんのお陰だ、なんて言われるような存在。学校教育においても、高校三原則と言えば、良きにつけ悪きにつけ、蜷川さんの名前が冠について・・・という時代がありました。ようやく、積年に渡ったその陰も拭えた、という所なんでしょうか。

さて、お話を本筋に戻しまして、前出の「学校より家庭へ」で見つけた、女学校時代の蔵書への寄贈者リストに、蜷川虎三の文字があったのが気になってはいたのですがそのまま放置していくばくか。ちょっとこないだ京都大学で今もなんと存在するという「蜷川ゼミ」なるものに籍を置いていた学生さんとお話する機会があって、思い出してちょっとその件に触れてみたら・・・、どうやら、蜷川さんの娘さん。蜷川さんが京都大学(当時の京都帝国大学)で教鞭をふるっていた頃に、娘さんが府一、つまり鴨沂の前身であるエリート女学校に通われていた事が分かったんです。

女学校時代は父兄や卒業生、学者や起業家等が女学校に対して多くの寄付をしていましたので、恐らくは同姓同名では無く、あのリストに名前があったのはご本人、という事だったんでしょう。

歴史というのは、消しても拭えない真実の物語の積み重ね。

なかなかに、見つけてみると面白いものですね。

あさが来た京都白川高等女学校のモデルは?京都府高等女学校!千代が通う京都女学校