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勉強会報告。

「京都市歴史的建築物の保存及び活用に関する条例」についての勉強会報告。

 

先週金曜日のお話ですが、大阪弁護士会会議室にて行われた、大阪弁護士会の研究会が主催された勉強会に参加してきました。

テーマは京都市が制定した「京都市歴史的建築物の保存及び活用に関する条例」について、京都市の担当職員を招いての講義と、これと同様な条例を制定したいと検討されている河内長野市の担当者の方らの講義及びディスカッションといったものでした。

 

以前もフィードで触れた事がある、テーマの主軸である「京都市歴史的建築物の保存及び活用に関する条例」。京町家などの木造建築、並びに近代建築などの非木造建築等、歴史都市・京都の景観を形成し、生活文化を伝える景観的・文化的に重要な建造物の伝統的な意匠形態を保存しつつ、安全性の維持・向上を計り、建築基準法の適用を除外する事で、これまで困難だった建築行為を可能として良好な状態で保存・活用を計るものとして、平成24年にまずは木造建築を対象に、そして平成25年には非木造建築を対象範囲として広げ、条例が制定されたものです。

↓条例の詳細内容はこちら

http://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/page/0000157989.html

 

今回の勉強会での講義並びに質問内容から分かった事を以下にまとめてみました。

 

◎今回の京都市の条例では、これまでの所、適用建築物となったのは木造建築で3案件(龍谷大学深草町家キャンパスと、あと2件は寺院)。そして非木造建築での適用建築物となったのは現在までで1案件のみ。それは本・京都府立鴨沂高等学校の中央棟。つまり、現在まで非木造建築では、最初の対象事例にしてオンリーワンの建物である。

◎この条例に関しては、景観的、文化的に特に重要なものとして位置づけられた建物である、建築基準法施行(昭和25年)前に建築された建物が対象となり、所有者は保存しながら使い続けるための建築計画や安全性の向上、維持管理に関する計画を記載した「保存活用計画」を立案し、京都市長へ登録の提案を行うものとされる。つまり、鴨沂校舎の場合には所有者である京都府教育委員会より「保存活用計画」が提出されたものであり、この件を京都市の担当者に質問した所、府教委側の計画では、校舎全体では無く、校舎中央棟部分の保存活用計画が提出されたとの事だった。

◎提出された「保存活用計画」は審査され、京都市から保存建築物に登録される。また、今後、所有者は増築等を行う前に市長の許可を受けたり、適切に維持管理が行われるようになり、定期的に市長に報告を行うよう取り決めされている(3年ないしは5年毎の報告)。つまり、今後の鴨沂校舎中央棟に関しては、これまでのようなメンテナンスの滞った状態に陥る事が起こりえない筈、となる。

◎今回の条例の施行については、国による指針に沿った形でつくられたものであり、それらを受けて京都市が取り組んだものである。

◎ただし、この条例についても文化財指定を受ける受けないと同様に、所有者側の意向有る無しによって、条例自体が活用されるかというのが大きな問題となる。

 

第二部のパネラーとしてお話された大阪府河内長野市の文化財保護を担当されていた元職員の方は、主には京都と高野山を結ぶ高野参詣道として歴史を刻む河内長野市に多く残る街道風情や、その文化財指定を受けた建造物の経緯を説明されました。そこには建造物の所有者側に対する働きかけについても触れられていました。また、残す事だけでは長期的保存の道とは言えないとされ、それら木造建築に必要な材木や萱などの育成にも市をあげて取り組まれている事も紹介されていました。そこには、担当者の方の、未来に渡って市民の貴重な財産を残し、伝える事の使命感や熱意を強く感じました。

 

こうした心ある人の力の呼びかけによって、意識は変わるのかもしれないと感じたと共に、講義を受けながら、本来は京都市の条例の対象範囲である(と、以前京都市長への質問状からの回答でもそう述べられていた)あの、鴨沂に残る地下道上屋の貴重さについて、果たしてどう、投げかけてゆけば多くの方の意識は変わるのだろう・・・と、果てしない気持ちになりました。

このような条例の対象になるような、あの学校校舎はそれほどの建物だったのですよ、という事から、今だ意識を持たれなければならないのかもしれません。

また、こうした条例があっても、それを活用し、発展させるもさせないも、私たち市民次第なんだと思うのです。守る事や残す事は、何も単調な意味での保守ではありません。お飾りのようにただ残すだけの為では無い、残し、今後も安全に活用するという方針を持った条例なのですから、その意味を知り、保存と活用の両立が、未来へと続く歴史になるのだという考え方に、展開してゆければと願っています。

おそらく、これが最後の住民向け工事説明会。

<府立鴨沂高等学校/校舎改築等工事/近隣住民向け工事説明会レポート>

平成27年3月27日の夜19:30より。校舎北運動場東隣にある「鴨沂会館」にて行われた、近隣住民向けの説明会に参加してまいりました。

鴨沂現校長及び副校長に事務長、そして京都府教育委員会管理課複数及び工事管理者の梓設計、工事施行会社の代表者らが会場前方にずらり、そして会場後方にもずらりと囲む中で、住民の参加はわずか20名足らず(これまで、北運動場側解体工事での住民説明会と本館校舎解体工事の住民説明会と、つごう3度が行われましたが、第一回目より更に住民参加者数は減っている。その逆に工事関係者側が増員している。)、という会場配置でした。時間は冒頭から「会場の関係にて8時45分には質問等を終了致します」との事でリミットが切られる、つまり説明会時間は頭から1時間15分で終了される、といった状況でした。これは、第一回目の説明会と時間設定はかわりません。会場都合であるなら、時間を前倒しにするという考えは、最初から最後まで無かったようです。

工事説明には主に工事施行の代表が語り、補足的に府教委管理課の代表が答弁に応える、というスタイルでした。おおまかな工事概要説明のあとに、住民からの質問タイムが設けられるという事でしたが、その質問には明確な返答というのは結局の所どれをとっても、ありませんでした。ただただ形式的で、まるで形骸化された儀式のような雰囲気でも許されるのは(果たして許されているのかは分かりません。声を荒げるような、また詰問するような事はされません。)、これは長年あの場所で学校として居た歴史あっての事で、周辺の方々の長年のご理解があっての事だというのは、今一度行政側も、そして工事関係者側も深く感謝せねばならないのではないかと思います。形式的というのは配布される資料ひとつとっても分かります。最も大事なインフォメーションと思われるフォントはとても細かく、ご年配者には大変読みづらいでしょう。また、資料は両面刷でとても分かりにくい。住民の方も「こんなん見てもなんも分からんわ」と思わずこぼされる方が居られました。

新たな学校を新たな場所で建設する際には、周辺住民との折衝は大変厳しいものであると、私学関係者から色々と聞かされた事があります。

ですから、その理解の上にあぐらをかいていてはいけないと思います。学校のイメージを造るのは、学生らの姿形ではけっしてありません。たとえばこうした場をこしらえる側の、態度ひとつだと思います。

当日のレポートと共に、配布された資料を画像添付致します。

◎資料から分かる事

1ー工事工程表で見る限り、工事開始は現在残されている本館及び図書館棟の内部解体から始まるが、これは今年5月より始まる模様。実際に外からも分かる工事スタートは今年7月から、との事。

2-現在残されている外塀は、今年7月から随時全面解体される、との事。

3-工事車両出入り口であるゲートは合計5つ造られる模様。

4-建物の大枠が完成するとされる予定では、来年の10月頃。全ての工事完了は来年12月末。

その他については資料をご参照下さい。会場説明でもほぼ、資料の読み上げといった感じでした。

◎住民からの質問

1ー<住民>「前回の校舎解体時の説明会でも検討中という返答で終わっていた地下道及び上屋について、どのような結論に至ったのか。歴史的にも貴重なものであると同時に、地下道はこれまで荒神口通りを渡らずとも地下を通って敷地を行き来出来る安全なものだったので、今後も活用しないのか。」

<府教委管理課>「まだ検討中ですが、今後の学校利用としては地下道は使わず道路の横断で安全は確保出来ると考えている。新しい校舎が建てば必要無い。ただ、歴史的な点では地下道については貴重なものであるとの認識はあるので、どのような残し方をするのかは道路管理者の京都市と協議して検討する」

2-<住民>「資料の敷地平面図を見る限り、現在残っている本館敷地側の地下道上屋及び階段の場所がちょうど工事車両の出入り口となっているが、検討結果も出ないうちにもう解体するのは決まっているのではないのか」

<府教委管理課>「図面はあくまでもアバウトなものなのでゲートは地下道を避けて造られることになると思う。が、地下道はこれからどうするかは検討し、上屋については解体する予定である。」

3ー<住民>「新烏丸通り側の塀に現在、町内のゴミ捨て場や古紙回収、京都市の広報告知板があるけれど、それはどうなるのか」

<府教委管理課>「新烏丸通側の塀は現在の場所より若干最終的にはセットバックする。また個別に町内会とお話すると共に、その件については検討します。また、塀が新しくなって後には京都市の告知板については京都市と相談出来るようにします」

4-<住民>「これまで塀側の樹木は落葉樹が多くて落ち葉の掃除が大変だったので、今後もしも樹木を植えられるのであれば落葉樹でなく針葉樹を植えてもらいたい」

<梓設計>「京都市との景観に対する協議の中で、今後は桜とクスノキを植える事になっている」

5-<住民>「この資料では地下を何m掘るのかが書かれていないけれど、うちは地下水を使って居り、水脈が変わるのが心配だ。以前近隣調査の来られた時にはあくまでも工事解体のためのものだったが、また今後は調査をしに来られるのか」

<施行業者>「先に行ったのは事前調査だったので、今後はそれらを元に25m範囲のお宅にはまた再調査を行う。今回、体育館では10m強掘る事になっており、また調査では水脈は4、5mの所にあって、北西から南東へと水脈が通っているのは分かっている。今後は観測場を設置して水質やダクト、pHなどを調べる。また現在の使用状況は見させて頂く」

6-<住民>「解体時にそうだったが、工事掘削を行う重機が稼働しているとテレビが途切れる事が度々あった」

<施行業者>「ちょっと状況がよく分からないので、まだ事務所等も設置しておらず電話窓口も無いが今後は現場にそれらを設置するので、今後そのような事が起こったら知らせて欲しい。その時に対処する。」

7ー<住民>「北運動場側の整備はまだ終わっていないし今後は体育施設も建てると聞いたがいつか」

<府教委管理課>「27年度の12月から3、4月あたりで予定している。防球ネットも15mのもので今後は全面を張り巡らせる」

8-<住民>「これまでは北運動場側には体育館もあって災害時の避難先にもなったがこれからはどうなるのか。また町内の防災機器などが保管されているがそれらをいざとなった時に誰がカギを開けてくれるのか。」

<府教委管理課>「今後校舎が完成した後に京都市と自治会と調整します」

◎住民向け説明会という主旨設定であるが故に質問時間内に質問出来なかった、「鴨沂高校の校舎を考える会」として疑問に思った事。

1-府教委の説明では地下道の件では「道路管理者である京都市と今後を検討」と言われたが、地下道の管理は鴨沂高校であるとは、京都市の門川市長より回答があったのに、何故今だに地下道の今後について京都市の名前を出すのか。

2-平面図面で見ると、移植されたウィーンの森の形状が東西の縦長となっているが、現状では南北の横長である。また移植するのか。

3-外側の塀は今年7月より随時解体されるという事は、少なくとも地下道上屋は7月から解体される、ということか。

4-北運動場の整備はかなり後回しになる。そして、現状で建てられている防球ネットの支柱は15mは無いが、また新たに15mの支柱に伸ばす予定なのか。

5-地下水脈が通るのが4、5mと言及されているのに、一方で地下を10m強掘る事が決まっているのなら、あの規模の体育館を造る時点で水脈を断絶するという事なのでは無いのか。

6-校舎改築の際の大義には一方で地域の防災拠点ともなるべく、と高らかに謳っていたにも関わらず、現状もそしてその先の事も検討中で終わって明言出来ていない。

7-そもそも、工事車両の台数だけを取ってみても、このような大改築を行わずに改修工事という計画であったのなら、このような労力も、また周辺への迷惑もかからなかっただろう。また、地下道については今後も検討されるという事だが、その検討結果がいつ出るのかも明言されておらず、加えてゲートは地下道を避けて造るとは名言されたが、道路上には大型車が今後無数に通る訳であり、その過重に堪えられるのか。

 

皆さんもまた、一度これらの資料を見て、また何か疑問に思う所がありましたら、是非一緒に考えてみて下さい。

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地下道及び上屋について。京都市長から回答がありました。

<鴨沂高校の地下道及び上屋に関する質問状に対して、京都市の門川市長よりご返答頂きました>

今月2月2日付にて「鴨沂高校の校舎を考える会」として、京都市側は鴨沂高校に現存する地下道及び上屋の今後について、どのように考えておられるかを、京都市が運営している「市長への手紙」の窓口を通して質問致しました。

http://coboon.jp/memory.of.ouki/?p=5642

そして今月2月24日付にて、門川市長より質問に対するご返答がありましたので、全文を添付致します。

こちら側の質問の要約は、

①これまで京都市による2005年における調査にて「近代化遺産」として評価され、また専門家らも調査報告書にも記載された地下道及び上屋について、京都府の方針としては「地下道は閉塞」「上屋の一部はレプリカで別の場所に設ける」とされる計画であるが、この件について京都市側としてはどのような考えでおられるか。

②本館中央棟については「京都市歴史的建造物の保存及び活用に関する条例」の第一号適用を受けたとされるが、地下道及び上屋に関して、京都府側から保存活用の相談を受けた事があるか。また、それらを拒否する理由は京都市側としてはあるか。

③公道の地下を利用して造られた地下道は、市道である荒神口通下を通っているが、管理は京都市、京都府のいずれにあるか。

が、主とする所でした。

今回の京都市・門川市長の回答を読み解いて最もはっきりとした事は、

①京都市の市道にある地下道ではあっても、鴨沂高校の専用地下道であるために管理については京都府側にある。

②地下道は建造物では無いので京都市の条例にはあたらないが、上屋については先の条例の適用範囲のものである。

③いずれにせよ、京都府側の方針いかんで、この地下道及び上屋の存在の有無については計画が成される。つまり条例の適用を受けるも受けないも、残すも残さないも京都府次第であると共に、現在まで地下道上屋について京都府が京都市側に相談した形跡は無い。

・・・という事がはっきりと分かりました。ある意味、楽観的にとらえれば、この地下道の存在は京都府と京都市の糸引きによって残す残さないの行政間での煩雑なやり取りが無くとも、京都府側さえ英断をされれば、残す事は出来るのだというのは分かった次第です。

果たして。

この明治から今日まで活きた地下道及び昭和初期の上屋の存続は、その希少性を感じ、また方針を打ち出すのは京都府がやはりカギを握っている、という事になります。

議会における予算審議も大詰めの中。とは言えレプリカを造る工事予算は既に計上されている訳ですから、方針の転換にリミットは無い筈です。

全てを取り壊さない限り。

 

「市長からの手紙」以下全文↓↓↓

 拝復 

 京都市のホームページにアクセスいただきまして,ありがとうございます。お寄せいただきましたご意見に,お返事させていただきます。

  京都府立鴨沂高等学校の校舎整備に関して,母校に対する強い思いはもちろんのこと,文化財的価値を有する建築に思いを寄せられるあなた様のお気持ちは以前から度々伺っています。

 今回ご意見を頂戴しました地下道出入口につきましては,ご存知のとおり本市で調査を実施し,一定の文化財的価値を有すると評価しています。

 今回の改築工事に当たって,所有者である京都府では,安心安全な教育環境と歴史的・文化的価値の継承の両立を実現することを基本設計方針として整備が進められており,本市としましては,京都府の方針を尊重し,今回のようなデザインの踏襲による景観的保存も一つの手法と考え,関心を持って見守りたいと考えております。

 京都市歴史的建築物の保存及び活用に関する条例に基づく保存建築物の登録に係る手続につきましては,既存の建築物に対して増築や用途変更などの建築行為を行おうとする場合に,所有者の提案を受けて行うものです。

 2つの敷地を接続する地下道及び地下道の北側出入口上家のうち,地下道については,建築基準法で規定する建築物に該当しないため,本条例の手続の対象とはなりません。

 しかし,北側出入口上家については,本条例に基づく対象建築物の指定手続後,所有者(京都府)から保存建築物登録の提案があれば,保存建築物の登録の可否について判断することになります。その際,景観的,文化的な価値については地下道の出入口であるということも踏まえての判断をすることになると考えられます。

 なお,北側出入口上家について,現時点で本条例の手続についてご相談をいただいたことはありません。

 また,地下道の存続が厳しいとされる条例や法令等はございません。

 最後に,当該地下道の管理についてでございますが,本市が管理している道路(春日緯6号線)を横断しておりますが,京都府教育委員会が管理する京都府立鴨沂高等学校の専用通路となっており,本市において管理はしておりません。地下道の廃止による生徒の道路横断時の安全確保につきましては,京都府教育委員会において,改修工事に合わせて横断歩道の設置など,必要な措置を検討されております。

  今後も,歴史的建築物の保存・活用に取り組んでまいりますので,何卒ご理解いただきますようよろしくお願い申し上げます。

敬具 

平成27年2月24日

京都市長 門川 大作

 

地下道及び上屋の今後について、門川京都市長まで「市長への手紙」。

<鴨沂高校における地下道及び上屋の今後について、「市長への手紙」を送付致しました。
京都市のホームページに、「市長への手紙」という窓口があるのをご存知でしょうか?
http://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000017307.html
主旨には以下の通りが記載されています。「京都市では,市民の皆様の市政への参加を図り,開かれた市政をより一層推進するとともに,行政施策の充実に資することを目的に,市民の皆様から広く市長 に対するご意見,ご提案などをお聴きする『市長への手紙』制度を実施しています。『市長への手紙』制度とは,市政に対するご意見やご提案などを,各区役 所・支所などに置いております『市長への手紙』の専用封筒や下記の入力フォームで,市長宛にお送りいただくものです。お手紙は,市長自らが目を通し,関係 部署において,その内容の調査・検討を行ないます」。
2013年の校舎解体が目前とされた春にも一度、この窓口に質問文を送らせて頂いた事がありますが、その際にもちゃんと、返答がありました。
そこで今回は、鴨沂高校に今も解体されずに残ってはいるものの、今後解体及び閉塞される事が京都府として予定されている「地下道及び上屋」について、以下の質問を「市長への手紙」として、昨日送信致しました。
鴨沂高校は京都府立ですので、所有者は京都府ということになりますが、鴨沂高校の地下道は京都市の市道である「荒神口通」の下を通っているためにも、無関係では無いと考えたからです。
また、追って返答頂きましたら、皆様にもご報告申し上げます。(添付画像はその際のフォーマットをjpeg変換したものです。一部個人情報については文字を加工し削除しております)「市長への手紙」の内容。↓↓↓ この度は京都市施行の「京都市歴史的建造物の保存及び活用に関する条例」において条例適用の第一号として、京都府立鴨 沂高等学校の本館校舎を保存建造物として登録して下さいました事、心より、厚く感謝申し上げます。
さて、今回はまだ解体されずに残る鴨沂高校の近代化遺産の存続について質問をさせて頂きたく存じます。

1ー現在校舎解体及び、再年度から改築工事が行われる本校は、荒神口通を挟んで南敷地と北敷地があります。その敷地を繋ぐべく荒神口通の下には地下道が存 在しており、これは明治33年に造られたものであると、専門家による「京都府立鴨 沂高等学校既存建築調査報告書」に記載されております。報告書には「道路を挟んだ敷地の連絡用に、このような地下トンネルを設けた事例は全国的にも稀であ ろう。しかも明治33年の開削以来、今日もなお校地内の重要な通路として使用され 続けている地下トンネルは、鴨沂高校にとってその成立事情に関わる不可欠な施設であり、近代化遺産としての価値が高い。しかも個性的なモダニズムデザイン による両地下道口がこれに伴うことで、昭和初期の学校建築の意匠性を端的に示す 好個の事例としても価値が高い」と書き記されております。また、京都市が2005年に独自調査を行われました「京都市近代化遺産調査報告書」にも、この地 下道について記述されております。
そこで質問ですが、この地下道は京都府教育委員会の方針として、今後は地下道は閉塞し、上屋は撤去、一部上屋のデザインをレプリカとして新体育館の出入り 口に再現すると示されておりますが、京都市としては明治からの近代化遺産が今後、 失いかねない状況についてどのような考えを持たれているでしょうか。

2ー鴨沂高校において京都府は、残される既存校舎中央棟(管理棟)については「京都市歴史的建造物の保存及び活用に関 する条例」の適用を受けましたが、この条例は所有者側が申し出をしない限り強制力は無いとは以前、条例について京都市 に問い合わせをした際にお聞かせ頂いた事があります。そこで質問ですが、この既存地下道及び上屋について、京都府側か ら保存活用の申請を申し出されるならば、その審議する事について拒否される理由はありますでしょうか。これまで京都市 側と何か京都府側からアプローチ、または話し合いが行われた事はありますでしょうか。

3ー地下道の管理というものについて、素人ながら調べてみますと、以下のような記述がありました。 「日本の公道の地下を利用して造られた地下道は、道路法上の道路管理者によって道路として管理される。また商用の場合 には道路管理者は必要に応じて道路占用料の徴収が認められる」。 そこで質問です。この鴨沂高校の地下道は、上を荒神口通(京都市道春日緯6号線)が通って居ります。となると、上記の記 述を解釈すればこの鴨沂高校の地下道の管理者は京都市という事になります。であるならば、この地下道の今後について は、管理者である京都市はどのような考えであるのかという事が、我々市民から聞かせて頂く事が出来ると思うのです。京都市としては、この地下道の存在について、いかがお考えでしょうか。また、閉塞される方針を京都府側が独自に判断して いるのであれば、それについてはいかがお考えでしょうか。明治33年から現在に至るまで、この地下道は学生が道路を渡 らずとも、地下道を使って、本館校舎側である南敷地から運動施設のある北側敷地へと移動するのに使い続けた安全確保の道でもありました。今後は、鴨沂高校は体育や部活動に使用してきた外部グラウンドの紫野グラウンドを京都府による新設高校開校にて利用出来なくなり、これまで以上の頻度で北側敷地の運動場を 使う事が多くなります。荒神口通の車などの往来に加えて大勢の生徒らがそう広く無い荒神口通を地上で往来するには通行トラブルも想像出来ます。つまり、この地下道 は京都の貴重な近代化遺産である上に、生徒や周辺住民にとって安全な動線でもあると思うのです。このような今後想定されうる状況について、京都市としては どのようにお考えになられますでしょうか。

4-この、明治時代から使われ続けた地下道の存在について、その存続が厳しいとされるような条例や法令等がありましたらご教授下さい。

質問は以上です。 年度末のご多忙の最中に恐れ入りますが、このかけがえない存在である地下道及び上屋についても次年度には早々に解体・ 閉塞される予定だそうです。ご回答を出来るだけ早急に頂けますなら、大変有り難く存じ上げます。

京都府立鴨沂高等学校1872-2013αさんの写真
京都府立鴨沂高等学校1872-2013αさんの写真

追記ー2月24日付にて、京都市の門川市長よりご返答がありました。詳細は以下リンクです。

http://coboon.jp/memory.of.ouki/?p=5731

2015年の思い。語ります。

<2015年の思い>

2015年は、いよいよ春から新校舎の建設がスタートされると言われています。

そこで今年の目標として、私たちは今後、重点的に以下2点の未解決問題について、注力したいと考えています。

①鴨沂高校に今もまだ残る地下道及び上屋についての保存運動。

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②現在伏見にある旧養護学校敷地内にあるとされる、スタンウェイピアノについての保存と修復についての運動。

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この上記の問題について、それぞれに訴える矢印は異なると、私たちは考えています。

まず、①について。これは、その今後の処遇について京都府教育委員会の判断いかんにかかっており、一方で京都府教育委員会としては上屋についてはレプリカを別の場所に造るという方針と予算案を既にたてている事からも、その計画の変更と、あらたに造るとされるその予算を、本来の位置で本物を改修し、残すべきだというのが、私たちの運動方針であります。また、この問題については、鴨沂高校におけるグラウンド問題にも繋がっている事から、部外者である立場で何がどこまで出来るかは分かりませんが、当事者らの声がある限りは、応援してゆきたいとも考えています。

そして②について。これは、京都府教育委員会も、そして鴨沂高校としても、その今後の処遇について全く明言をしておらず、一方で全国にいくつかある事例として、市民、卒業生、PTAなどの有志が協力し、改修し、学校に再び寄贈するというものがある事に習って、ピアノについては心ある人達でなんとか、仮置き場から救い出し、しかるべく手当を受けさせ、そして楽器として復活させるというのがベストであろうと考えています。現在は府教委側の手の内にあるピアノであり、まずはこのピアノの正確な歴史やいわれ、また販路の正式な確認も必要であり、出来るだけ多くの協力者の声と、各方面への働きかけ(これは、府教委や鴨沂高校、また同窓会組織など)も必要とされますので、いくつかのハードルはあります。ですが、出来るだけ心ある方々らの声があって、しかるべき資金が集まれば、そう難しい筈は本来無いと思っています。

これらの2点について、何か共通するものがあるとすれば、それは共々に老朽化した姿を見て、「こんなのは今更なおせるのか?」と思われるか、「いや、みんなで声を挙げれば出来る筈だ」と思われるか。また、これらを「今後も鴨沂に残すべき」と思われるか、「もうそんなものは必要無いだろう」と思われるか・・・そう、いずれかの選択を、自分達側が問われているのだという事では無いかと思います。

しかしながら私たちは、「出来るだけ多くの人達で声を挙げれば、今後も鴨沂に残せる筈だ」というスタンスの元、今後の活動を行ってゆきたいと考えています。

出来るだけ、同じく意志をお持ちの方の声をお待ちして居ります。

また、何故、これらを今後も繋げてゆくべきかという事についても、度々にフィードで触れてゆきたく思っています。

どうぞ、宜しくお願い申し上げます。