日別アーカイブ: 2013年7月10日

電子署名数カウントの有無について、問合せました

<昨日の定例教育委員会の鴨沂高校における署名数の報告について>

昨日行われた定例委員会にて当方らの掲げる署名簿及び要望書の報告について、委員の皆様に、教育委員会管理課からの報告内容に電子署名にお寄せ頂いた内容(つまり賛同者数)が盛り込まれていなかった点について、本日電話にて問い合わせいたしました。

管理課からの電子署名の解釈について説明を受けましたのでご報告致します。

「請願法に基づくと、これらの電子署名についてはお書き下さっているみなさんの住所が記載されていない(〒番号があっても果たしてどこが住所なのか判別出来ない)訳ですから、もちろん、教育庁としてはこのような電子署名が挙っているという事は全課で把握しておりますが、住所が分からない、という事で昨日の報告ではあげませんでした」。との事だそうです。

電子署名は、お一人の方が、例えば1台のパソコンに複数のアカウントをお持ちである場合、そのうちの一つのアカウントからでないと署名が出来ないし、住所、という点では、PCアドレスが、書面によるそれと同義である筈で、書面による署名よりも、ある面ではシビアな規制がしかれたものであると思われます。

また、それでは電子署名にご賛同頂いている皆さんの声は、報告に値しない、ともとれますが、いかがでしょう?の問いには

上記の事を繰り返された後、「そのような声は届いているとの認識は、教育庁としてはもちろんありますので」と言われました

つまり、報告には当たらない、書面による署名の数のようには、これまでお寄せ頂いた貴重な電子署名の要望の声は、数としては認められない、という見解をお持ちという事ですか?との問いには、

はっきりと断言するのはためらう様子ではありましたが、「そうです」と言われました。

これまで、貴重なお声として、多くの皆様から頂いている電子署名については、「鴨沂高校の校舎を考える会」として、心からお詫びを申し上げますと共に、この電子署名についての解釈には、早急に、有識者の方にお尋ねしようと思います。

そして、本当にお手間をお掛けする事は心苦しいのではありますが、上記の現状解釈をされる事で賛同の声が報告されない、という事に憤られる皆様には、今一度、書面による署名簿のダウンロードの後、ご記入して下さる事を、重ねましてお願い申し上げます。尚、電子署名については今後共、オープンにさせたままで居ようとは、当方らとしては考えております。

何故なら、電子署名の最大のメリットは、要望内容を分散しているために賛同者の方の声がよりダイレクトであると思われますし、また、皆様からコメントもお書き添え下さる事も出来、ある意味では書面による署名よりも、より顔と声が見える、と当方らとしては解釈しているからです。そして、一定数が集まる毎に先方に届けられるので、リアルな要望数が先方にお伝え出来ると考えるからです。

電子署名というものは、現代においては、何らかの市民運動の活動の一環には既に周知された方法であり、電子投票での選挙まで言われる時代にあって、上記の教育委員会のお考えは、それは時代錯誤だろう、と考えるに至ります。

今後は、公式サイトの署名説明のページには、上記の解釈で処理されるとの注意喚起を付記させて頂く事と致します。

これまでご賛同頂いている皆様には、報告に挙げられなかった事について本当に、当方としてお詫びを致しますと共に、これらについてご理解を頂き、またどうぞ今後共、ご協力頂きますよう、重ねてお願いを申し上げます。

7月9日の報告②定例l教育委員会の傍聴したこと

<7月9日の報告②京都府教育委員会/7月定例l教育委員会を傍聴しました。>

本日14時。京都府庁内にある教育庁・教育委員室にて行われた、「定例教育委員会」を傍聴してまいりました。

議事内容は、いずれ近く、教育委員会HPにPDFデータとしてアップされると思いますので、取り急ぎ、感想や印象についてのノートと致します。まず、今回の議事では、この度当方らが7月1日に提出した要望書(各委員会にコピーされていた)、そして署名簿の報告が成されました。また、今回の京都新聞記事の説明報告を、教育委員会管理課長が行う所からスタートしました。

◎おおよその内容

  • 要望書提出と署名簿が寄せられた。
  • この度の新聞報道の釈明。
  • 委員会のご意見。

◎傍聴感想

  • まず驚いたのは、提出した署名について、電子署名分を一切公表されず、書面署名簿のみの数を報告された事。つまり、これまで地道な声を重ねてきた電子署名には、一切、カウントすら成されなかった事。(これは、明日、提出先にどういう解釈が加わったのか、を聞く事とします)。

  • そして、今回の報道にあった、報告書の公開が成されてこなかった事について、出席の有識者、とされる方々から構成される委員から、教育庁に向けて、全く非難なり、質問なり、批判の声が挙らなかった事。

  • 我々の要望書の読み込みが全くされなかった事。(箇条書き程度の要望趣旨を挙げられたのみ)

  • 最後付けたし的に、教育委員長から、「今回の報道にもあるように、報告書が公表されていれば、誤解も受けなかっただろうし、私自身もそのような報告書の存在を知らなかったので、今後はこの報告書内容を生かし、校舎の在り方を反映させると良いのではないか」というような柔らかい締めくくりで終わった事。

  • 事実関係は知るよしも無いが、今回の問題である報告書の存在を、ただ教育委員会の某課だけが掌握していたとは、調査費用などの捻出についても稟議など、通すだろうに、知らなかった筈は無いだろうし、また、万が一知らなかったとしても、その言い訳は、トップとしては通らないだろうに、と思えてなりませんでした。

◎最も印象的だった、某委員の言葉。

「鴨沂高校の校舎を今更保存しろという要望をあげているこの方々(つまり当方ら)が、一体、今の校舎の状態を分かって、そして見た上で言っているとはとても思えない。私たちも現地を視察したけれど、今のあのボロボロの校舎が、今更どうなるものか分かって言っているのか、何を考えているのか、私には理解出来ない。

府一時代という栄光を背負った鴨沂高校ではあるけれど、そんな栄光など見えなくなるほどのボロボロの状態になったあの校舎を今更残して何になるでしょう。九条家の茶室だったら、京都御苑の拾翠亭にもあるのだから、あんな(鴨沂の)ボロボロの状態になったお茶室を、今更改修することも必要無いでしょう。これまでの栄光に傷をつけて、ボロボロにしてしまっているのだから、その栄光を、九条家の門なり、なにかしらで引き継ぐ形をとれば、それでよろしいのでは無いでしょうか」。

教育委員会の中で、あのような言葉を言われると、まるで、「ものの価値も分からない子供らに、ボロボロにされる位だったら、そんなものは与える必要無し」との烙印を押されたように感じてなりませんでした。

何故なら、これまで、あの校舎をあのような状態に至るまでに必要な予算をかけて、維持管理出来ない状態にしてきたのは、誰なんだ、という言及は全く成されず、しかるべき責任の追求も無く、単にそれを、教育委員という立場で言われると、そのボロボロにした犯人は、「ものの価値が分からない」我々鴨沂高校の歴代卒業生、である、と言われているに他ならないからです。

冷静になり、百歩譲りましょう。

では、そのものの価値の分からない子供達に、その歴史的文化的価値を教育するのも、教育庁の大きな役割では、ありませんか?あのボロボロになった校舎の犯人が、我々、教育の行き届いていない鴨沂生にあるならば、その教育をこれまで与えてこなかった、そのように育ててしまった大人の責任は、全く無い、と言えるでしょうか。

そして、ボロボロになったから、解体、という短絡発想は、それこそ、破壊的で暴力的ではないでしょうか。

有識者と呼ばれる方であり、素晴らしい歴史文化に造詣の深い方から出たご意見には、鴨沂高校解体発想の真髄がここにあり、と思えてなりませんでした。

九条家の茶室が他にも存在するから、鴨沂の茶室は必要無し。

恐るべき、暴力的解釈に他なりません。

かくして、このようなお考えの方がそれなりのお立場と発言権をお持ちでいらっしゃるが故に、この鴨沂高校どころか、京都の景観の崩壊は成されるのだ、という事が見えてなりませんでした。

どなたの言葉からも、登録有形文化財に関する見地や、近代建築けの見識などの意見は成されず、「子供達の安心安全を第一に考え」の言葉はあちこちで聞かれた内容で終始され、鴨沂高校に関する議事は終了。次の議事に移ったので、途中退席は基本NGだったそうですが、あまりの虚無の場に、その場から退場させて頂きました。

以上。本日の報告は、終了です。

そして、
今回は88名の方の署名簿を、提出致しました。

「このように五月雨的に渡される事はないので」と戸惑われ、「またこのような形で追加的に行われますか?」と問われたので、「勿論です!」と答えました。

以上の内容により、まだまだ絶対的に、声として、数として、相手にされていないのだ、と痛感しました、ので!