日別アーカイブ: 2013年11月6日

ミニマムコラム/ときどきおうきvol,17

大変久しぶりの鴨沂コラムです。

さて、本日は知らない間にすり替えられていた、鴨沂高校の教育方針について、少し考察してみようと思います。

長く長く書く事も出来る程、大事な話とは思いますが、これは思いきって、短めに、たくさんの人で考えられるよう、余白を残した書き方が出来たらと思います。

現在まで掲げられる鴨沂高校の教育方針は、紐解けば昭和28年(1953年)に完成したのだそうです。60年の歴史を刻むこの教育方針のもと、私たち鴨沂生は、その方針の中で大いに悩み、大いに学びました。

昭和20年に太平洋戦争が終わり、昭和23年に女学校は男女共学の公立高校になりました。同年、京都府立鴨沂高等学校の初代校長は竹内鉄二校長、27年に2代目校長・岡田四郎校長が就任しました。その年の秋頃に評議員会で討議され、28年に完成したのがこの、鴨沂高校の教育方針です。

初代校長の思想と2代目校長、そして、職員会議での全体意見がまとめられたのだそうです。細かな文言とその表現に渡っても、それぞれの先生方の意見が盛り込まれたと、「鴨沂の歩み」(京都府立鴨沂高等学校旧教職員の会・発行)に、当時を知る先生方の座談会の中で記述されています。

終戦を迎え、それまでの価値観が大きく転換し、また戦後復興の激動の中にあって、このような力強い、揺るぎの無い方針をまとめられた当時の事。私のように戦後も戦後に生まれてのぼんと育った人間には深く察する事など出来ませんが、読み込めば読み込むほど、個々の思想観など飛び越えて、いかようにも解釈出来る、思慮に満ちたというか、我々の骨を太くするというか。今だ振り返って読んでみても、卒業後いったい、何年経つやら、私は未だ、道半ばにしてこの方針の元で育った事について、そして日々の自分の歩き方について、考えさせられる内容であると思います。

そんな、鴨沂高校の軸であった教育方針が、一体いつのまにやら、何の議論も無しに、そして一体誰がすっかりと変えてしまったのか分からない間に、変えられてしまいました。

ここで今一度、鴨沂高校の教育方針と、今後の鴨沂高校の教育方針として掲げられた文言を比較すべく、書き出してみたく思います。

現代に至るまでの鴨沂高校の教育方針

世界平和を希求し、すべての人々が幸福になりうる社会をめざして、事実に基づいて真理を追求し、それに従って実践しようと努力する人間をつくる。

~方針
1ー自発的・積極的に学習する態度を養い、基礎学力を培い、思考力を養成する。
2-自治活動に進んで参加し、相互の人格を尊重し、正しい方法で討議して、その結果に基づき、責任をもって行動する習慣を養う。
3-社会に対する関心を高め、批判的精神を養成する。
4-勤労の誇りと喜びをもち、社会的活動に耐えうる体力を増進する。
5-芸術的関心を深め、豊かな情操を養う。
6-人間の尊厳という観点から、基本的人権についての科学的な認識を培う。
・・・

新しい鴨沂高校の教育方針

『一人一人の特性を生かし、自ら学び、考え、行動する生徒の育成を目指し、「京都の文化」の学習と通して、豊かな情操と高い教養を身につけるとともに、それらを活用して世界に向けて発信出来る人材を育成する。』

・・・

文章量の多さが、その質と内容を計るものでは決してありません。

また、時代性などを問うている訳でもありません。

ところが、思想や価値観を越えても余りある、問題点とは一体なんだろうか。

出来るだけ、個の発想をフラットにして中立的に観察しても、やはりもわもわと心に浮かび上がる問題点は、つまり、この新しい教育方針は、誰が作成し、またどのようなメンバーによって、果たして本当にしかるべき議論が成されたのか。これがまず、一番の問題に思います。

そして、加えて、現在に至る鴨沂高校の教育方針は、戦後60年に渡って主軸と成してきた、これはまさに鴨沂高校の「歴史」であり、成り立ちを支えた事によって「文化」をも物語るものであると思います。このように、60年にも渡って培われた歴史的方針を、一体誰の権限でもって、しかも認知される事も了承を得た事も無く、あっさりとすげかえられるというのでしょうか。

「京都の文化」を語るのは、大いに結構に思います。

しかしながら、今一度、この方針を誰に話すでも無く秘密裏に、あっさりとすげかえてしまうには、この高校の歴史を仮にも教育者として知るならば、思慮を深くあるべきだと思えてなりません。でなければ、文化や歴史についての考察無き者が、表面だけの「京都の文化」等を説くに等しいと思えてなりません。世界という大いなる領域にまで発信出来る教育成果を遂げる人材を育てたいのであれば、それは日本における歴史文化に造詣が大変深く、その余りある教養と知識を持たれる指導者で、あなたがまずは無い限り、この大いなる教育方針の実現は全く、果たせぬものとなるでしょう。

現在に至る鴨沂高校の教育方針で育った若輩者の私には、そしてその方針にあっても実践もままならない道半ばの私には、更に言えば、とうてい、新しい鴨沂高校の教育方針にあるような、京都の歴史文化を習得し、かつ世界に発信出来る程の人間に達するには道が遠過ぎてなりません。

であるから非力ながら、私はこの、日本で最古の女学校を前身とした公立学校の歴史を読み取るにも必死で、加えて力無くも、この歴史的文化的価値が極めて高いとされる校舎を守り、今後も未来へと継承したいと思う運動をするだけで、本当に精一杯です。

が、そうしてようやく少しばかり、気付く事があるのです。

一体、脈々と受け継がれて来た大切なものを、こうも破壊し、根絶やしにした上に、文化などがいとも簡単に、育まれるというのか、という事を。

そして。

一体、鴨沂高校を、この顔も見せない指導者は、どうしたいというのか。

私にはそれが全く、読み取る事が出来ないでいるのです。

これらの経緯を知る先生方、そしてこれらの歴史と歩みを知る諸先輩方。

皆様がいかがお考えでいらっしゃるか、

是非ともお教え頂きたく存じます。

文責/谷口菜穂子(鴨沂高校90年卒業生)