日別アーカイブ: 2013年11月13日

温故知新。建造物再生は、かつて日本ではあたりまえの事だった。

~茨木小学校(大阪)にて、女学校時代の木造校舎が使われていた。

今日は、フェイスブックにご投稿頂いた貴重な情報のもと、

鴨沂高校に、実はゆかりのある場所へと取材に行ってきました。

そこは、とある大阪の建築設計事務所。鴨沂高校と建築事務所。それも京都と大阪?

その関係には、意外な繋がりがありました。

 

◎大阪府茨木市で生き返った女学校校舎。

茨木小学校沿革史2

大阪は茨木市にある、茨木小学校。そこにはかつて、木造校舎が存在していました。その木造校舎は、京都府立第一高等女学校(現・鴨沂高校)の校舎と共に、京都市にあった小学校の建物が移築されたというものでした。

茨木小学校関連新聞記事

「昭和9年9月21日、室戸台風によって茨木小学校の校舎が傾斜する。

そのため昭和10年6月、京都市立富有小学校(現・御所南小学校)木造校舎2階建(120坪)及び京都府立第一高等女学校(現・鴨沂高校)木造校舎2階建の払下げを受けた。

建築面積は、講堂(168坪)校舎(1207坪)附属建物(91坪)総経費は158,537円であった。」(茨木小学校の沿革史より抜粋)

茨木小学校沿革史1

添付写真の校舎平面図には、北と南の校舎が木造校舎の2階建てとなっています。昨年調査された大場教授(京都府立大学)を始めとした専門家チームによると、「南北の校舎のどちらが京都府立第一高等女学校のものかは定かでは無いけれど、明治33年に荒神口に建てられた京都府立第一高等女学校の教室棟の一部が、移築されたと考えられます。」との事。

現在の鴨沂高校校舎が新築され、竣工されたのは昭和11年。こうして、当時あった木造校舎は、大阪の地で再生されて活用されていた、というお話には、大変夢のある話だと思えてなりません。

茨木小学校朝日新聞記事

その後、校舎はまた役割を終えて、建築事務所として再生された。

IMG_7604

その後、老朽化に伴い、茨木小学校の校舎は、昭和33年6月から順次、鉄筋コンクリート校舎に建て替えられてゆき、「昭和38年3月15日、南校舎鉄筋続き木造6教室を取り除き作業を開始し、翌4月8日、鉄筋コンクリート造3階建9教室が完成する」(沿革史より)。

この時点で、撤去された2階建て木造校舎が、大阪の橋本健二建築設計事務所に移築されたそうなのです。

校舎としての役目を終えた後も、その建材をもう一度活かされた、という素敵なお話。

現オーナーのお父様が工務店として、事務所兼倉庫に活用すべく6教室分の建物を移築し、現在は建築事務所、及びギャラリーとして活用されている空間は、その時間の堆積があるからこその柔らかな木材の風情と、使い古された建材が醸し出す独特の空気に満ちた、貴重な空間と化していました。

 

昨年、この建造物の調査に加わられた専門家チームの方曰く、「不要となった建物を転用するということが当たり前だった時代。経済的な理由も大きいのでしょうが、建物を解体、移築し、また新たな建物として生き返らせることを、当時の人々がごく自然なこととして認識していたのですね」との事。

建築家・橋本健二氏は、「この建物も、恐らく近い内に残念ながら解体される事になりました。ちなみにこの建物部分はその後調べると、女学校から移築された部分では無く、どうやら富有小学校からの移築部分であるようですが、いずれにせよ、明治から今に至るまで、それも京都から大阪までと時代や場所を越えてここに存在するという事を、多くの皆さんにも知って欲しいと思っています」とお話されました。

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長い時間を経ても、ここでこうして大切に使われ続けてきた建物。

ただそこにあったから、では無く、それらが醸し出す全てが貴重だったから。

空間や建物について、その大いなる意味合い性について、

しみじみと考えを巡らせる事の出来た、貴重な出会いでした。

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橋本健二 建築設計事務所

大阪府茨木市春日3-13-9

http://www.kenjihashimoto.com/index.html