月別アーカイブ: 2013年12月

ミニマムコラム/ときどきおうきVol,18

2013年の最後に。鴨沂高校は、変えられる事を一体誰が望んでいるのだろう。

2013年。

今年はまさかこんなにも思いもかけず、母校の事を振り返る1年となりました。

2012年の報道で母校校舎が全面解体されるという話を新聞報道で知った時、それはあまりの突然な感覚があって、このように文脈無く「突然」と感じたのは、これまで同窓会にも属さず、母校愛をもって顧みる事も無かった自分のせいだと強く後悔しました。そして、わずかな情報の中で知り得た校舎耐震性の恐るべき脆さについて「仕方がないのか、いよいよか」と、諦めの気持ちを持ちました。

が、一方では「あんなにも歴史があって、京都でもう唯一かもしれない自由で個性のある学校が無くなる」というのに、ネットや報道で浮かぶ真実であろう情報のあまりの少なさと、あれほど自慢のひとつだった筈の私服通学が制服になるという話、噂に伝え聞く母校の不人気ぶり、予想外に静まり返った周囲の雰囲気に対し、何か漠然とした違和感を持ちながらも2012年が終わりました。

今年に入り意を決して、同級生と約20年ぶりに校舎を訪れたのが3月。正門側の梅の花を愛で、また桜の咲く頃から散る頃まで、何度か校舎を訪れました。

確かに、校舎周りの雑草は生えるにまかせたまま、剪定も忘れたのか樹木は伸び放題、周りを囲む塀もミルフィーユのような脆さ、昔はこれ程無かった落書きもそこかしこ。一見すればボロを着た様子には見えましたが、こんなものはしかるべく手を加えれば見違える筈。水回りを整備して、老朽個所を補修すれば、または目利きの出来る専門家にセンス良く内部の手を加えてもらえればもう一度美しい姿になる筈では無いのかという、頭の中で巡る妄想・・・。

しかしながら方針として耐震の著しい不足により全面解体は決定しているらしい、正門以外、何もかも無くなってしまうという母校校舎の中を写真におさめる中で、こんな自分にも何か、言える権利は無いだろうか。せめて、階段の板、1枚でも多く、残してもらえることは出来ないのだろうか。いや、昨今では校舎の部分保存など、たとえ致命的な耐震数値であろうとも、技術的には可能な筈では無いだろうか。こうして自分達や多くの卒業生を送り出してくれた校内の木々達くらい、助ける事は出来ないだろうか。息も絶え絶えのまま晒されたスタンウェイピアノ、どうにか修理出来ないだろうか・・・それら細々としたささやかな願いを、無謀にも建築等の専門知識も皆無のままに訴え始めたのが、この活動の始まりでした。

 

これらのささやかな願いを訴える中で、しかしながら返答はとても短く、またお世辞にもこちらを納得させるような言葉は、返ってはきませんでした。なにより戸惑ったのは、訴える先々で、どこを向いてもまるで、あらかじめシナリオでも設定されているかのように、ハンコをついたような絶望的な台詞が返されました。この対応の不自然さは、さしたる母校愛を持たずに居た事の後ろめたさが少なからずあったこちら側ですら、加えてこれらに関して全く無知識であったこちら側ですら、疑念を湧かせるのに充分な効力を果たしました。

「一体、本当に、この校舎は耐震化が満たないという理由で、全面解体されるのだろうか」。

 

同級生で建築業界に携わる友人が、この頃、私に言った言葉があります。

「お前は甘い。しかもお前、そんなに鴨沂の事、好きやったんけ?だいたい、お前みたいなたいした人脈も無い人間に何が今更出来ると思てるねん。よお考えろ。あの校舎、壊したくてたまらん人間はな、そら、もう何十年もコツコツと人脈築いて周り口説いて説得して、そうしてやっと、新しい建物、建てる事が出来るねんぞ。あの敷地からしたらな、だいたいの建築予算、計算出来るわ俺にも。その内の一体どれくらいのお金が、校舎建て替えに根回しした人間の懐に入るか知らんやろ。いや、懐には入らんヤツでもな、立場が良くなったり、それなりの地位与えてもらったりしよるヤツも、うじゃうじゃおるねんぞ。お前みたいにそんな事やったって何の得にもならへんヤツより、そうしてお金が動いて利益得られる人間の方が、必死になるの分かるやろ。だから。お前に勝てる訳が無いねん」。

 

活動を始めて約10ヶ月。

勝ち負けの論理では無く、ただ、不可思議な事、何か澱みのある事、疑問に思う事、それらを調べ、間違い探しを続けるうちに、失望した事、悲しかった事、悔しかった事、あらぬレッテルを貼られる事もありました。単純に「何かがおかしい」と思い、行動する事が、こんなにも勇気がいることだなんて思ってもみませんでした。

が、それにも増して、貴重な体験をさせて頂き、また多くの人との貴重な出会いにも恵まれました。この校舎が失われる事の危機に対して、自分と同じような気持ちをもっておられる方々が、実際にはたくさんおられるのだという事を知りました。我が身にとっては無益な行動を行う人が、この世の中にはたくさんおられるのだという希望も感じる事が出来ました。活動に対して100%の善意で力を下さる方々の声はどこまでも力があり、また心優しい方々でした。これまで、会える筈も無かった違う世代の卒業生の方々。鴨沂らしい、正義感あつく、人情味溢れる在校生や、無心の親の愛でいっぱいの保護者の方々。また、ご多忙の中を時間と足を使って、全くの利害関係無しに励まし、力になり続けて下さる専門知識を持つ先生方。

たくさんの助言やアドバイスを頂き、多くの方々から、活動を支えて頂きました。校舎の事、グラウンド問題、ピアノ修復、建材リサイクル、校内樹木について、現在までに延べにして約3400筆の貴重な署名も頂きました。

そして、卒業して以降初めて、この学校の素晴らしい歴史物語を、たくさん知る事も出来ました。

 

そんな中で時折、メッセージを頂く中でいくつかの言葉がありました。

「活動の方向性には、妥協も必要だよ」。

「あなたは一体、校舎の全面保存を訴えているのですか?」。

 

その後、当初はこの夏から、新校舎プランも出されぬままに校舎全面解体が進められようとしていた計画はいったん先に延ばされました。そして秋頃には校舎改築計画案として、まずは設計業者選定が行われ、プロポーザルコンペで選ばれた業者の設計案には、校舎中央部の保存と、図書館の保存、正門の活用、茶室の再現、地下道及び出入り口の保存改修、校内樹木の可能な限りの保存、和室棟の校内復元が盛り込まれた案が出されました。以前、あれほど、校舎中央部ですらも「部分保存は出来ない。意匠性の高い中央部を残そうとしても、5倍の費用がかかる」と開示資料まで示された筈が、いつの間にか「校舎『全体』を残そうとすれば5倍の予算がかかる」という言葉にすげ替えられて、あっさりと部分保存として計画案に浮上し、あれほど「敷地面積が限られているので図書館の保存も無理だ」と言われ続けていた事が、こうして建築プランに採用されて今に至ります。

一方では「あくまでも素案であり、業者を決めただけの段階であるから」との緊張が続く情勢では、現在も、あるのだけれど。

 

このフェイスブックページ及び公式サイトを開設するにあたり、タイトルとして「京都府立鴨沂高等学校1872~2013α」と名付けました。1872という数字はそのまま、鴨沂高校の前身である女紅場が開校された年である、1872年を意味しています。そして2013年。これは、当初計画には2013年の夏から校舎解体が始まると言われていましたので、その年を表記し、加えて「今後の鴨沂高校の行方」へのわずかながらも心からの希望を込めて、「α」の文字を数字末尾に記載しました。

そうして2013年も、あとわずかで終わろうとしています。

今後の「京都府立鴨沂高等学校1872~2013α/鴨沂高校の校舎を考える会」として、私たちは何を指針として活動を行うか。

それは、今回の校舎解体及び新築が一体、誰の声を要望として、押し進められているのかという事を問いかける事が主軸となります。

今回のプロポーザルコンペには、一定の部分保存なる「学校の歴史や文化の継承も保ちつつ、新しい現代的学校環境を整えるため」という美談の元に設計プランが構築されていると対外的に言われ、またきらびやかで一見すれば清潔感溢れるプランの元で学校改築が行われる、これは使う側の学生らにとって喜ばしい事であるとの美談でまとめられつつあります。

しかしながらこの、鴨沂高校開校以来の大きな転機でもあるプランには、今だ解決されていない、大きな見落とし問題が背景にあります。

それはこの、あたかも折衷案的プランを容認する事、本館側の敷地内にこれまであった建造物施設を新たに配置するという事はつまり、鴨沂高校の今後には、グラウンドの確保が確定されておらず、または大変手狭な北運動場のみを鴨沂高校専用グラウンドにする、つまり、そのような構想を今後の鴨沂生に強いる、という全体プランでもあるという事を容認するに他ならないという事です。

グラウンドという、一方では大切な教育環境及び部活動の活動の場を著しく制約され、また、その件について全く納得していない学生らが居る限り、私たち、彼らと共に同窓生である者として、この事は決して、容認してはならないとの思いの元、引き続き活動を行う所存であります。

 

一体、今回の鴨沂高校を、校風も校舎ももろとも一掃し、解体改築を行う事は、誰が望んでいる事なのでしょう。

歴史文化を破壊し、教育環境を著しく制限する事。それらを望んでいるのは誰なのでしょう。

これまで、校舎内のしかるべき内部改修工事もままならないままに放置し、老朽化を進行させ、あちらこちらで補修もされずに利用不可な設備を抱えるこの建造物を、ここにきていきなりの大掛かりな予算を投入しての「全面解体」。しかしながらその校舎構造は、今も孤高とした姿で堂々と、この京都の地で、美しかった筈の学校教育の歴史の証人として立ちそびえています。

 

一体、これらを失わなければならない理由は、何処にあるのでしょう。

 

2014年。

恐らくは大きな結論が出される時が来ることでしょう。

しかしながら私たちは今後も引き続き、ある片側からの思惑から潰されそうな「本当の声」が反映されるべき鴨沂高校の方向を最後まで見定めるべく、活動を行う所存であります。

あまりに非力で手探り状態の活動について、それでも見放す事無く、あたたかく見守って下さった皆様、これまで陰ひなたとなってご声援やご賛同、貴重なアドバイスを頂きました皆様には心から、深く感謝致しますと共に、今後共どうか、引き続きましてお知恵やお心を頂きたく、お願いを申し上げます。

どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。皆様にとって来る1年が、素晴らしいものとなりますよう、心からお祈り申し上げます。

 

2013年12月31日。

京都府立鴨沂高等学校1872~2013α

「鴨沂高校の校舎を考える会」

文責/谷口菜穂子(鴨沂高校90年卒業生)

 

京都工芸繊維大学のグラウンドは、鴨沂生が使えるという交渉は成立しているのでしょうか?

<鴨沂高校グランド問題は、本当に解決に向かっているのか>

この年末の学校終業式頃にようやく行われた、保護者説明会及び終業式での学生向け今後の説明。

そこで語られたグランドの代替地について、あたかも学生側には決定事項として解決したかのように書面に記載されている代替グランド=京都工芸繊維大学グラウンドの利用。が、一方では今だ歯切れ悪くも保護者会では「交渉中」と述べるに留まる代替グランド候補地=京都工芸繊維大学グラウンド・・・

この問題が挙って2年余り。

今だ代替地決定が伝えられないまま、紫野グラウンドはフレックス学園建設が進められています。

今回、FBページ「鴨沂高校の図書館」さんがサイト上で検索した事。この情報には、よほど信憑性の高い、というよりも真実が浮かび上がっています。

以下、京都繊維大学のグランド利用状況が、公式サイトに掲載されています。この時間配分を見て、一体、鴨沂高校の体育授業の活用が、ここで出来る事が可能なのでしょうか?

見る限りではありますが、この利用状況の時間割を見るに、決して、このグランドが空きグランドとして、鴨沂生が使える余地があるとは思えません。

第一、このグランドは工繊大学の専用グランドです。

であるにも関わらず、京都府教育委員会や鴨沂高校校長の裁量ひとつで、利用権限が発揮出来るのでしょうか。そして、であったにしろ、では一体、この大学の学生の方々にとって、このような話は迷惑極まりない事態にならないのでしょうか。

以下、「鴨沂高校の図書館」さんの文章を以下、添付致します。

保護者説明会で、京都工芸繊維大学のグラウンドを鴨沂高校が「いつでも使っていいよと確約をとっている」と藤井直校長が発言。これ、本当でしょうか?

 20131221日におこなわれた事後保護者説明会で、藤井直校長が、体育の授業に関しては、京都工芸繊維大学のグラウンドを「いつでも使っていいよと確約をとっている」と明言しました。しかし、現在は工芸繊維大学のグラウンドを利用していません。その理由として、仮校舎のグラウンドと紫野グラウンドの半分、北運動場など、「使える範囲で、うちの体育科が、そこで当分やっていこうというふうに判断した」からだと述べました。

 京都工芸繊維大学のホームページに、201310月のグラウンド利用状況が掲載されていました。これを見ると、ほとんど入る余地がありません。もし、鴨沂高校が京都工芸繊維大学のグラウンドを「いつでも使」った場合、京都工芸繊維大学のアメリカンフットボール部、硬式野球部、サッカー部、男子ラクロス部、女子ラクロス部、軟式野球部、ラグビー部、陸上競技部、外部団体ゼストFC、生体エネルギー学(ソフトボール)はどこへ行くのでしょう。201310月と、2014年春では状況が変わるでしょうけれど、これだけのクラブが利用しているところに、はたして鴨沂高校の体育授業が入る余地などあるのでしょうか。

http://www.kit.ac.jp/05/05_050000.html

http://www.kit.ac.jp/05/kagaikatsudou/ground.pdf

京都工芸繊維大学のグラウンドを利用している団体(ホームページのある団体のみ)は以下

京都工芸繊維大学アメリカンフットボール部 COUGARS

http://www.geocities.jp/kyoutocougars/index.html

京都工芸繊維大学ラグビー部

http://kitrugby.okoshi-yasu.com/

京都工芸繊維大学陸上競技部

http://rosebay.s33.xrea.com/

京都工芸繊維大学女子ラクロス部

http://www.geocities.jp/kit_w_lax_2012/

京都工芸繊維大学軟式野球部

http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkjem408/hp/

京都工芸繊維大学 サッカー部

http://www.geocities.jp/fc_kit_5_2004/index.html

 藤井直校長や京都府教育委員会は、紫野グラウンド廃止・北運動場更地化の理由として、「紫野グラウンドが遠かったのが課題だった」と何度も述べています。京都工芸繊維大学のグラウンドも遠いですが、この矛盾をどのように考えているのでしょうか。

校舎及びグラウンド問題で、ようやく行われた保護者説明会。

<鴨沂高校保護者説明会時における録音データが公開されました。>
〜録音データの追加情報。

2013年12月21日。
これまで開催される事が無かったグランド問題及び校舎問題についての保護者説明会。
保護者側からの再三に渡る要望と、新聞報道があっての、まさしく事後ではありますが、ようやく説明会が開催されました。
ここにはグランド問題で約2年近くに渡って声を挙げ続けられた保護者さんらの切実な声と、今だ解決されていない疑問の声、怒りの声、それに対して京都府教育委員会の各担当者や鴨沂高校校長の、今だ質問に対する答えのすり替えや、場当たり的で充実とはとても言えない回答が繰り広げられています。

本来であるならば、このような説明会は、事後では無く事前に行われるべき筈。
また、議論や討論の場を経て、利用者側の声を集め、一定理解を得て、最低限でも、相当の代替プランを提示して了解を得て後ようやく、議会にプランを提出し、予算決議が成されるべきであった筈。
また、公開の場でしっかりと、議論成されるべきであった筈。

今回の録音データに関しては、恐らくは公表される事も無く、密室状態で結果として「保護者側に説明は果たした。一定の理解を得た」と片付けられてしまう危惧をもって、参加保護者の方々のご了解のもと、皆様に情報を開示致します。

鴨沂高校保護者説明会①
http://www.youtube.com/watch?v=5BAZKhexVfs

鴨沂高校保護者説明会②
http://www.youtube.com/watch?v=e5K-rspGzUM

鴨沂高校保護者説明会③
http://www.youtube.com/watch?v=R6RndW9Idbs

鴨沂高校保護者説明会⑤
http://www.youtube.com/watch?v=P7CvmVfeBdE

鴨沂高校保護者説明会⑥
http://www.youtube.com/watch?v=IkZrMNZNTXU

鴨沂高校保護者説明会⑦
http://www.youtube.com/watch?v=BR5BtYeG_98

鴨沂高校保護者説明会⑧
http://www.youtube.com/watch?v=LTBUTZszXsE

鴨沂高校保護者説明会⑨
http://www.youtube.com/watch?v=IHmegW-LXXw

鴨沂高校保護者説明会⑩
http://www.youtube.com/watch?v=si4mTmsJ_c4

朝日新聞2013年12月30日朝刊・読者欄より

〜お送り頂きました情報より、シェア

鴨沂高校の前身である女学校時代にお過ごしになられた方がお寄せされた文章が、朝日新聞に掲載されていたとの情報。
終戦直後。男女共学となって鴨沂高校と名称を変える前にご入学された当時の様子が、ここには綴られています。
文面にある「まばゆいばかりの文化と自由にあふれていた」「女学校時代につけていただいた読書力と、自分の頭で考える力は、その後の生き方の原点となり、今も私の支えとなっている」という文章。これは、まさしくその後の、自由な校風と自主性を重んじた鴨沂高校に通じる、その原点はすでにこの前身の女学校時代から繋がっているのだという事が分かります。
これまで、少なからず私は、当時の女学校について、「地位も学力も選ばれしエリート女子の学校」であり、イメージの中ではその後の鴨沂高校とどこかリンクしないというか、いわゆる古風な女学校のイメージが勝手に先行していたのですが、この学校の歴史を知るべく、当時の方々のお話をお聞かせ頂いたり、物語を紐解くと、なんとも、鴨沂卒業生として、大変親近感が湧くというか・・・そんな気持ちになります。

神戸在住のこのお方にも、お会い出来たら、当時のお話をお聞かせ頂けたら・・・と思う今日この頃です。
(ちなみに、本文末尾にはお名前も掲載されていましたが、ご本人様のプライバシー配慮にて、消去させて頂いております)

鴨沂高校前身の女学校時代を過ごした、ある女生徒の物語動画。

鴨沂高校前身の女学校時代を過ごした、ある女生徒の物語。

70年以上昔のこと。

学校が神聖で、かけがえのなく、

また誠実で、ひたむきであった頃の物語。

ある女生徒がこの学校で過ごした、

本当にささやかな日常の物語。

http://www.youtube.com/watch?v=9tPz9m8tU1U