月別アーカイブ: 2014年1月

本日、校舎解体によせた署名簿を追加提出致しました。

京都府教育委員会まで、2014年1月31日、追加署名98筆分を提出致しました。

今回の署名簿には、鴨沂高校定時制卒業生の方や、京都府立京都第一高等女学校(鴨沂高校の前身)ご卒業で、自宅療養中の方よりお集め頂いた署名が含まれています。

2014年1月31日まで集められた署名数の内訳

◎校舎における最大限の保存活用を求める!署名ー2795筆 (内訳/書面による署名2566筆。電子署名229筆)

◎校舎建材のリサイクル活用を求める!電子署名ー235筆

◎校内樹木を守ろう!電子署名ー226筆

◎鴨沂スタンウェイピアノを再生しよう!電子署名ー126筆

◎鴨沂高校の専用グランド「紫野グランド」を奪わないで下さい!電子署名ー156筆

これまでの皆様のご参加とご協力を心より感謝申し上げますと共に、今後共どうぞ引き続きまして、ご関心頂けますよう、宜しくお願い申し上げます。

「鴨沂高校の校舎を考える会」発起人/谷口菜穂子

(鴨沂高校90年/89年度卒業生)より。

京都府立鴨沂高等学校におけるグラウンド問題に関する陳情/配布資料PDF/平成26年1月31日提出。

<京都府立鴨沂高等学校におけるグラウンド問題に関する陳情>

目次

1-京都府立鴨沂高等学校改築と京都フレックス学園開校における諸問題の解決に向けて

  全体における問題概要の冒頭説明。(2ページ分)

目次1

目次1−2/グランド問題概要

2-フレックス学園についての問題提議

  フレックス学園設立について、質問事項を掲げております。(1ページ分)

目次2/フレックス学園質問

3-鴨沂高校グラウンドについての問題提議

  鴨沂高校グラウンドについて、質問事項を掲げております。(2ページ分)

目次3/グランド問題の質問

資料目次

4-京都府立鴨沂高等学校におけるグラウンド問題及びフレックス学園に関する説明と疑問の概要説明

  ・フレックス学園についての京都府教育委員会のこれまでの答弁と

   在校生及び保護者における疑問の概要。

  ・鴨沂高校グラウンド問題に対する京都府教育委員会のこれまでの答弁と

   在校生及び保護者における疑問の概要。

資料目次4

5-京都府議会における会議録から見る「フレックス学園」及び「紫野グラウンド」についての

  関連する答弁の時系列。

資料目次5 

6-鴨沂高校在校生有志による鴨沂高校校長との上記問題に関する説明と疑問のやりとり(議事録)

  2013年11月22日/鴨沂高校校長室にて。

校長と学生のやりとり/1

校長と学生のやりとり/2

校長と学生のやりとり/3

7-鴨沂高校在校生保護者に向けて行われた保護者説明会でのやりとり(議事録)

  2013年12月21日/鴨沂高校仮校舎にて。

保護者説明会①

保護者説明会②

保護者説明会③

保護者説明会⑤

保護者説明会⑥

保護者説明会⑦

保護者説明会⑧

保護者説明会⑨

保護者説明会⑩

8-上記説明会及び在校生、保護者に向けて配布された、フレックス学園設置に関する資料

  ・フレックス学園設置検討場所資料のコピー

  (その他、府立高校定時制・通信教育の在り方懇談会」まとめ資料も配布されましたが、

   この資料は府教委ホームページにPDFとして掲載されておりますので、そちらをご参照

   下さい。)

設置検討PDF

注)尚、提出した陳情書には提出者代表者氏名及び住所、連名者、代表者捺印がなされておりますが、プライバシー保護の為、こちら掲載分からは削除しております。ご了承下さい。

UNITED ARROWSのネットコラム「祖母の学友たち」より。

 

ネット検索にて。

 

京都府立京都第一高等女学校時代をお過ごしになられたご家族をお持ちだという事で、「ユナイテッドアローズ」のサイトコラムに辿り着きました。

 

 

ご親族のお葬式の際に集まられた女学校時代のご学友の方々の様子が、なんとなく、いえ、ありありと浮かんだ素敵なコラムです。

 

是非。

 

http://www.united-arrows.jp/drawer/column/2012/03/post.html

このままでは解体を免れない校舎の歴史①プール棟

鴨沂高校プール棟は昭和8年、竣工式には皇族の台臨も。

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(写真は改築落成記念帖/昭和11年より。プール棟外観、内観、ボイラー室)

鴨沂高校の北敷地側にある独立棟仕立てであるプール棟。

こちらは竣工が昭和8年。当時の面影は外観工事が行われて一見すれば変わってしまっているものの、実際の構造等は竣工当時のまま残っているとの事です。

 

鉄筋コンクリート一部鉄骨造の2階建て。女学校の創立60周年記念事業のひとつとして、校舎群が鉄筋コンクリート造りに建て替えられるにあたり、最初に着手されたプール棟。「機械室には温水装置を施し、年中21度の水温を保ち何時にても使用し得。更に濾過消毒及び循環装置をなし8時間に1回完全に濾過し得るよう設備せり」と当時工事報告がなされ、天井の一部をトップライトに昼間は採光をとり、夜間もまた使用出来るよう照明が設備されました。

内部には貴賓室、休養室、化粧室、浴室、脱衣室、シャワー室等があり、1度に800人の観覧者を収容出来たのだそうです。

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プールの竣工式には久邇宮多嘉王、同妃、同徳彦王が台臨されました。(京都府立鴨沂高等学校既存建築調査報告書/大場修京都府立大学教授より資料参照)。

 

日本で初めて、女子教育施設に誕生した独立棟の室内温水プールだった。

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鴨沂高校にあるプール棟の紹介がある時、よく「アジア初の室内プール」などと紹介されていますが、実際、日本における最初の室内プールは大正6年に完成した東京YMCAの屋内プールが国内初の完成だそうです。その後、昭和7年に甲子園室内プールの完成後、第一東京市立中学校屋内プール、京都府立京都第一高等女学校奥内水泳場(現在の鴨沂高校のプール棟)、東京帝大室内プールと次々に完成し、学校教育に生かされたとの事。ただし、京都府立京都第一高等女学校においては、体育館等の施設と一体では無く、独立した屋内プールであった事、そして当時、高等女学校に積極的にプールが設置された事はありましたが、室内プールという点でも当時唯一であったそうです。つまり、正確には鴨沂高校に現在もあるプール棟を指すには、「日本初の、室内独立棟によるプール」であり、「日本における女子教育現場において初の室内プール」であるというのが正しい解釈となるでしょう。(HEALTH SWIM in TAKAOKA 教育の中の水泳より参照)。

加えて、参考資料によると、「何故本格的な戦時体制の到来が予想される中、室内プール建設が続いたのか。アムステルダム五輪大会やその後のロサンゼルス大会での日本水泳チームの大活躍が追い風になった事は明らかだが、国民皆泳運動の盛り上がりだけでは説明がつかない」とされています。

そこで推理ですが、以前、建造物の構造及び学校建築の専門家の方とお話をした際、先生がおっしゃった言葉が符合するように思いますので記述致します。「鴨沂高校のプール棟は、恐らく校舎群全体の構造も総じて言い当てられるのは、戦争等の有事の際の非難場所として、また爆撃等を想定した造りが随所に見られることを考えれば、あの場所にプール棟があったというのにも大変意味がある。つまり、御所をお守りする為に、有事の際の貯水タンク、防火装置としての役割をも担っていたのでは無いか」。

確かに、鴨沂高校校地の西側には寺町通りを挟んで、すぐ向かいには京都御所があります。この学校には皇族とのゆかりは当時大変強く、立地もまさにすぐ側にある事を考えれば、この推理と先の参考資料を照らし合わせれば、戦時体制の到来を大いに予想し、このプール棟が御所側に最も近い位置に建設されたという事は、実に納得のゆく推理に思います。

 

日本女性初の金メダリスト・前畑秀子選手も凱旋水泳を行った。

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(写真は女学校時代の臨海学校での古写真。時期は不明。)

ベルリンオリンピックが開催された1936年。「前畑がんばれ!前畑がんばれ!」と、その世代には遠い我々にも伝え聞いた事がある、日本女性初の水泳金メダリスト前畑秀子選手が、なんとこの鴨沂高校のプールで女学校時代に水泳を行った事は、卒業生でも知る人はそう多くないのではないでしょうか。

8月に行われたベルリンオリンピックで金メダルをとり、まさに日本国内でキラ星の有名選手が来校したのはその年の10月15日の事。当時女学生であったエッセイストの故・寿岳章子さんによる女学校時代の日記「過ぎたれど去らぬ日々」には、当時の事が記述されています。

「今日は水泳大会が催される日である。オリンピックに出場した前畑さん、小島さん、竹村さん、壷井さん等もお手本をみせて下さる筈なので、朝からその話でもちきりである。4時間目から前畑さんや小島さんの歓迎会があって授業が無かった。新聞等で見たり聞いていた人を実際に見、泳がれるところまで見ることが出来るので、全く夢のようである。そう思うとともに、これも府一(女学校時代の略称)に入ったればこそと思うと、本当にありがたい。(中略)さあいよいよ水泳大会だ。前畑さんをはじめ、オリンピック選手の泳ぎはなんといっても素晴らしかった。満場に起きた拍手は長く長く続いた。(文章以降略)」。

 

校舎北敷地を更地化する計画が進められ、2014年4月からも解体が予定されている。

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(写真左側がプール棟。右側は体育館)

我々の在校中には、男子水球が大変目覚ましい活躍をしていましたが、現在、京都では男子水球は鳥羽高校に活躍の場が移されたようで、現在の鴨沂高校では、女子水球が見事なレコードを築いて今日も活躍されています。

今後はこのプール棟がある北敷地を更地化する事によって鴨沂高校のグラウンドとするとの計画の元、新校舎の方針が固められつつあります。そのプール棟を新たに本館校舎側に建設するため、本館校舎側の敷地は玉突き的に、現在校舎の改築を余儀なくされているというのが、実際には今回の校舎改築の理由であるというストーリーの成り立ちである側面は、まだあまり周知されていないのも現実です。

ちなみに、こちらのプール棟は、言われている校舎全面改築の最大理由である「耐震性の不足」には、当初から当てはまらず、補修や補強で充分な耐震性を確保出来るとされ、加えて、不足する設備の今日的不備は、内部改修により大いに存続の可能性を残しているのではとされます。

つまり。

鴨沂高校の専用グラウンドであった紫野グラウンドの喪失が、この貴重な建物の歴史的喪失に繋がっているのです。