月別アーカイブ: 2014年6月

いよいよ夏!高校野球大会目前!

<高校野球・夏の大会いよいよ目前!>

昨日行われた抽選にて、鴨沂高校野球部は7月13日の第一試合、9時から、太陽が丘にて!翔英高校が対戦相手となりました。
貴重なグラウンドを奪われても、毎日毎日練習に励む彼ら。黒く日焼けして、お母さん達が毎日手洗いする真っ白のユニフォーム姿でグラウンドいっぱいに駆け回る彼ら。鴨沂の看板をしょって頑張る彼ら。
是非、みんなで応援しましょう!
http://www.asahi.com/koshien/96/kyoto/

最後までやりきる!最後まで諦めない!
まずは一勝!絶対スクールソングを響かせるぞー!

鴨沂高校フォト&動画ギャラリーサイト。オープン。

<写真&動画サイトオープン!拡散希望!>

京都府立京都第一高等女学校時代から京都府立鴨沂高等学校に至るまでの貴重な提供写真にてデジタルアーカイブ化、ギャラリーサイトをオープン致しました。
今後も皆様のご協力により、写真内容の充実が出来ればと考えております。
肖像権や著作権のクリアした、同校写真をお持ちの方がおられましたら、ご提供お願いを申し上げます。特に、鴨沂高校におけるスクールライフページでは、これまでの学校での思い出写真などが充実出来たら・・・と考えております。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。

OHKI Photo Gallery

京都府立鴨沂高等学校に関する写真や動画のギャラリーサイトです。

MEMORYOFOUKI.WIX.COM

京都市庁舎の改修に寄せた記事より。

<保存活用が決定した『京都市庁舎』に寄せた、中川理・京都工芸繊維大教授による読売新聞記事>

耐震診断結果が、公表されている鴨沂高校校舎よりも更に低いIS値であるにもかかわらず、かつ求められる耐震化のハードルは、学校建築よりも更に高い防災拠点である『京都市庁舎』が、この度改修にて充分に今後50年は保存活用に耐えうるというお話に関しては、以前こちらのフィードアップでもご存知の方は多いと思います。

詳細記事はこちら↓

http://coboon.jp/memory.of.ouki/?p=3775

本日の読売新聞朝刊・文化面にて、これまで鴨沂高校校舎についても意見を寄せられていた、京都工芸繊維大学の中川理教授が、『京都市庁舎』に関する記事を書かれていましたのでシェア致します。

こちら同じく文化面にて、昨年の6月26日記事に鴨沂高校校舎について寄稿されていたものはこちら↓

http://coboon.jp/memory.of.ouki/?p=1197

昨年のこの頃と言えば、全体ムードとして解体止むなし、惜しみつつも地震で耐えられないなら・・・と、当時は直前に迫っていた校舎解体時期である夏に向けて、メディアでも保存改修の必要性を唱えた報道が皆無の時期であった時に、この記事はほぼ、初めて専門家による「保存改修の意義を唱えた」公表意見であったのを、とてもありがたく思った事として記憶しています。

また、中川教授には昨年9月5日に行われた府教委主催の意見聴取会議でも「耐震補強では不十分というイメージがあるが、改修には色々なアイデアや技術があり、工夫すれば非常に頑丈な建物になる」と、改修された東京駅舎などを例示されつつ意見された事(2013年9月6日/産経新聞より引用)、「日本では近代建築の保存には金がかかるなどのネガティブに捉えられている傾向にあるが、使い続けることで新しい価値が生まれるという発想に転換すべき」と保存活用の重要性を訴える(2013年11月20日産經新聞一面より引用)など、これまでも鴨沂高校校舎の将来について意見されておられます。

今回の京都市庁舎に寄せた意見では、建物の保存改修決定へ評価されつつ、現在東京オリンピック開催計画で問題になっている「国立競技場」についても例示し、建築家や設計者に向けて、また行政側の公募型設計業者選定のプロセスについて「残念」と意見されており、「厳しい条件だからこそ、建築家や設計事務所に設計アイデアを競わせれば、多様な解決策が出てくる可能性もあったのではないか」等と述べられており、これは今回の鴨沂高校における設計業者選定のプロポーザルコンペにも同じく、言われる所の「デザインの提案ではなく、業者の実績や業務に臨む体制などを中心に評価がおこなわれようとしている点」は、まさに「京都市庁舎」においても、既に業者が決定してしまっている「鴨沂高校校舎」においても、同じ問題が浮かびあがっています。

今後はこうした専門家の専門家ならではの指摘が反映されつつ、その公平な意見を取り入れながら多くの人間で学習し、鴨沂高校校舎の在り方について、広く風通しのよい未来の在り方について議論されればと強く願っています。

鴨沂高校にあるお地蔵さまのお話。

<鴨沂高校に残る地蔵尊のお話>
~お地蔵さまは、現校舎建築の際に出土したものだった。

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京都府立第一高等女学校時代において学校通信として配布されていた「学校より家庭へ」については、これまでも度々触れてきましたが、
そこで読み解かれた事によって分かった事はこれまでも数多くあります。例えば、現在も残る茶室の改修には裏千家のお家元が直々に寄付金並びに改修にあたられた事、現在もあるヒマラヤ杉は昭和12年に宮様お手植えであった事、図書館は建設費から蔵書に至るまで全て、ご寄付によって叶ったもの・・・など、その真実の数々には、どこかで創刊号から最後のものまで無いものかと願う程、貴重な当時の話を知る事が出来る資料です。

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さて、今回分かったのは、昭和11年9月22日に発行された「学校より家庭へ~臨時増刊号」に書かれた記事により、現在も鴨沂高校の南東角にあるお地蔵さまの事。
記事によると、「この地蔵尊は校舎改築にあたり地下深い所から発掘されたもので、昨年(昭和10年)本校東南隅に御堂をつくり、同年9月23日開眼式を行いました。」とあります。
それまで、生徒の誰ともなしに花を捧げたり水をあげたり掃除をしたりしてきたけれど、「(昭和11年8月24日午後4時より)有志の職員生徒約350名が参列して、初めての地蔵盆会を行いました」とも書かれています。
京都ではお盆の恒例行事である「地蔵盆」が、校内でも行われていたとはなんとも素晴らしい。
その後、手元にある限りの「学校より家庭へ」では、毎年の8月23日には地蔵盆が行われていて、例えば添付写真の昭和12年11月20日発行の記録にもあるように、本科一年生が掃除をして清めて、お供餅や果物、菓子などが飾られたそうです。

そうして、校地で出土したお地蔵さまをおまつりし、感謝の気持ちを込めて、京都らしいお盆をお迎えしていた学校の歴史。
時を経て、こうした気持ちもまた語られる事も無く、今はうっそうと茂るにまかせたお地蔵さまを思うと、これまで知りもせず、また大切にもせずに本当に申し訳ない事でしたという気持ちになりました。

STILL OHKI ⑯

<保存活用から消された鴨沂シリーズ⑯>

校舎本館南東側の階段。

「女学校時代のなごりの、すり減って波打った階段」というのは代々耳にしてきた話だけれど、実は鴨沂高校校舎の階段は、それぞれにすり減り方は全く異なっている。この階段や、校舎南西側、また北東側の階段は、中央の講堂へと続く階段に比べて、丸みは帯びているけれど、すり減りはそう目立たない。材質は同じなので、使用頻度によるのだろう。どれだけたくさんの学生や教員が上り下りしたか。過去の動線がそうした事からも垣間みれて、なかなか面白い。

こうして、それぞれ異なる使用感の階段は、今後校舎本館中央部のみが残されると言われる計画では、もう二度と目にする事も、また触れる事も出来なくなる。

これまでの人生で、ペンキ塗りをした事が無い人には想像が出来辛いかもしれないけれど、例えばこの階段室。壁の薄汚れや摩り汚れを塗り替えるだけで、見違える程綺麗になるのを想像して欲しい。

はなから綺麗なものは想像力を削ぐけれど、古く傷んだものに少し手を加えたら、どんなに良いかなあ・・・

そういうプランニングだって、充分に過去と未来の融合なのに。と、心から思う。