月別アーカイブ: 2014年8月

建物保存活用の、同じ日本でも違う考え方の行方とは?

<建物を残す、という事。~山形県のとある市庁舎のお話。>

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 山形県寒河江市。今年でちょうど市政60年を迎えます。名産はさくらんぼと日本酒。山形県の中央に位置する、人口42,478人の小さな街の市庁舎が今、保存改修の決断を下したという記事が読賣新聞電子版に掲載されています。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/20140828-OYT1T50040.html

 さて、この新聞記事を読むと、この市庁舎を未来へ継承するにあたり、並々ならない覚悟を持った行政側の意志が感じられます。

 老朽化に伴い、建物は震度7の地震で倒壊の危険性があると診断されており、この度の東日本大震災後の不安感たるや、市民の皆さんのご心配もひとしおであると想像されます。それでも尚、「デザイン性の高い外観は近現代建築の文化財で損ねられない」とし、設備の現実的不備も乗り越え、またあくまでも外観を損ねないように、あの、よく昨今目にする壁面へのブレース補強も行わず、耐震工事を行ったそう。なにより、様々な難関を乗り越える中でも「市庁舎を使い続けるために必要だと訴え、市民に理解を得たい」とする行政側の意志には、その建物の必要性を行政側が高く評価し、それらを市民の皆さんへと伝えて行くという姿勢が見て取れます。

 さて、この市庁舎とは一体、どのような建造物なのでしょう。

 1967年に完成した、という事は現在で築47年。設計には建築家の黒川紀章が独立後に初めて、公共建築物を設計したと言われています。内部写真が見られるサイトがありましたので、以下添付。

http://www.arcstyle.com/yamagata/332_sagaecity.html

 大きな吹き抜けのロビーには、なんと岡本太郎による照明オブジェがあります。2003年には近代建築の記録と保存を目的とした国際学術機関「DOCOMOMO」日本支部によって「日本近代建築100選」に選ばれました。(ちなみに、同じくDOCOMOMOによって同年に「日本におけるモダン・ムーブメントの建物」に選定された建築家・前川國男の代表作である『京都会館』はご存知の通り大変大きな保存運動が起こりましたが第一ホール側が全面解体されてしまいました。)この時代の近未来的建物には、京都会館の際にもよく言われたように、現代の活用方法の変容や設備の不備にも意見される事が多く、耐震性レッテル以外にも、使う側の利便性も大きく問われ、その事が大きく争点となるように見受けられます。

 ちなみに、同じく市庁舎という点で言えば、以前フィードでもアップした事がありますが、京都市庁舎に関しては、鴨沂高校の公表されている耐震診断結果よりも更に低いIS値結果が出たにも関わらず、改修によって本館の全面保存活用される事が決定されています。これには、住民の反対運動などが起こる等の騒動よりも先に、市側によって決定されました。ちなみに、鴨沂高校校舎が満たさねばならない耐震性数値よりも、市庁舎の場合には高いハードルをクリアせねばならない条件があり、加えて、予算についても全く、ゆとりはありません。(市庁舎建て替えの為に積み立てられていた予算のほとんどが一般会計に貸し付けされている、との事です。)である中で行われる事ですから、これはよく誤解的に言われる「建て替えより改修の方が高くつく」という話すら、覆した大変身近な証拠と言えます。加えて、改修後は今後50年を見越して寿命を伸ばす事が可能だとの事です。

 同じく寺町通りの延長線上にある鴨沂高校は、どうしてこれまで、真逆の論理とレッテルを貼られて、是が非でも壊さねばならないと言われ続けたのでしょう。

 こうした全国でも残される建物、また消され行く建物の成り行きを読み解くと、一体、その建物というものの命運というのは、何を理由とするのか?というのが不明瞭な事が多々だというのがよくよく分かります。時にそれは残したい側の身に寄り添う理由ともなり、また逆に壊したい側の身に寄り添う理由としても、いかようにも使われる「言い分」や「言い訳」にもなりうるのだ、と。

 築年数なのか?有名建築家によるもので評価が変わるのか?老朽化?耐震性が無い?使う人が居なくなった?それとも使う側の内容の変化によって?賛同者の数や声によってそれは左右される?それとも単なる懐事情?・・・

 しかしながら、いずれにせよはっきりと分かる事は、建物というものはおおよそ、現代の技術をもってすればいかようにも「残すことは出来る」そして、「内容の用途変更も文化財的視点をもって、大きく可能だ」という事。

 残される事、活かされる事の意味を、これからも問うてゆかなければなりません。

現代日本の諸問題に見る、鴨沂高校校舎。

<コンクリート建物から、今後の日本の都市景観を考える。その、耐用年数の、欧米との考え方の比較>

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以下のリンクにて興味深いブログ記事がありましたのでシェアを。

何事かのやや不利な状況となった時によく、欧米諸国との比較によって、日本の「ここがおかしい」「ココが悪い」の話を単純に持ち出すような論調もあって、それは「それぞれ、背景の条件が違うもの」と、どこかで論破したくなるけれど、この記事にはそれらを越えたものがあるな、と思いました。

記事には東京五輪後の東京を例に、考えられている都市創生に対して異論を述べた上で、日本におけるコンクリート建物の耐用年数の考え方と、欧州との比較から、日本の場合の解体&建て替えの発想と、欧州にみるメンテナンスを行い、老朽個所を取り替える、という発想の違いが語られています。

鴨沂高校校舎はご存知の通り戦前建物。

この1年でようやく、その歴史的価値に目を向けられる報道からそういった価値についてようやく少し、周知されたけれど、それまではただ、メンテナンスの充分で無い、ただの老朽化した建物、かつ危険な建物というレッテルが繰り返し貼られていました。こうしたレッテルを散々に貼らなければならない程、逆を言えば「歴史的価値」などという視点からあれこれ言われると壊しづらくなる建物であった、とも言えるのかもしれません。

「使う側の利便性を最優先しなければならないだろう」「校風まで一変されたのだからもはや愛着も無し」ーそう、内側の関係者や元関係者の意見も多く聞かれます。

その他の問題として学校改変の裏事情の数々によって、様々な意見もあり、また混乱もある中ではありますが、今一度、ただひとつの問題に俯瞰からフォーカスして、それをピックアップすれば見えてくるものが、例えばこのブログ記事の中に言い当てられている事であったりもするのでは?と思います。

考えてもみれば、恐らく日本はそれ以前の「上り調子」の経済を予測して、都市を繰り返し創生してきたのでは無いのか、と思います。人口増加を見越したインフラ整備や土地開発しかり、耐用年数を短く設定しての建物破壊と新築を繰り返す。これはまるで都市伝説的に語られる、「某家電メーカーは5年設定で壊れるよ」と言ったような、買い替えられる事によって経済を撹拌させる考え方と同じく思います。

けれど、例えば日本の人口増加は「下がり調子」の一方で、地方と都会の格差は著しく、人口が激減した地方と、増える一方の都心部という慢性的な人口バランスの悪さを生じているし、それは例えば学校というものにシフトしても、今年からいよいよ確立された京都の教育改革においても、各公立高校に格差や特色を半ば強引なまでにつけたのはひとつ、教育行政側の少子化への対策であるにせよ、いずれにせよ京都における限られた就学人口の奪い合いをしているだけに過ぎず、まるで都会と地方の人口バランスの悪さの抱える問題に、それは似て同じく問題も引き起こすのであろうな、という予想すらされます。

ずいぶん話がずれてしまいましたが・・・

この鴨沂高校はそうした、戦後のタイトな経済撹拌の指針に沿った時代に建てられた建造物では全く無く、戦前に、関東大震災や室戸台風などの大災害を教訓にして、また来るべく戦火にも耐えうるように非常に丁寧かつ頑丈に、それは当時のコンクリート建造物に対して高い基準を設けた、一行政では無い国家基準でもって建てられた建造物です。その軀体構造の強固さは、実際の所、専門家らも高く評価しています。

老朽個所を取り除き、今様の教育環境に内部改変する事でも充分に対応出来る筈。何せ、旺盛を極めた頃の学生数の、現在は1/3以下なのですから。しかも、もう何年も前にあった商業科は閉鎖され、かつて商業科が使っていた空き施設も多々。

つまり、上り調子で学生数がかつてよりも越える想定も無く、かつてあったスペースから超過した設備を新たに増設しなければならない必要にかられていません。(これらを踏まえて透かして見えて来るのが、結局の所、外部グラウンドであった紫野グラウンドの強制喪失が大きく影を落としています。)

こうした状況を踏まえても、これから行われようとしている事が果たして、本当に最新的な考え方であるのかを、今一度再考されても良いのでは無いかと思う次第です。

http://blogos.com/article/92992/

1977年の「仰げば尊し」。

「鴨沂高校1977年の『仰げば尊し』の1コマ」

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鴨沂高校30期卒業生の方のフィードより貴重な1コマをシェア。

北運動場の今は無き、旧体育館のバルコニーでの仰げばアピールの様子です。

とても躍動感があって、素晴らしい写真。

9月に入ったらすぐ、鴨沂高校は仮校舎での学園祭を迎えます。

3年生在校生は今年、仰げばパレードの復活を学校側に要望し、アンケートをとるなどした模様。学校側は道中でのパレードの許可が下りないなどと抵抗にあったようですが・・・

学園祭(文化祭)は、学生の祭典です。

クラスや学年、また学生が一体になれる貴重な機会。

是非、皆さんの心が繋がる祭典になりますように!

100年の建物を、また次の100年へと伝えるために。〜唐津市指定重要文化財「旧唐津銀行本店」。

明治45年に竣工された佐賀県唐津市に現存する「旧唐津銀行本店」。
この地を故郷とする近代日本建築の鼻祖・辰野金吾による監修にて弟子にあたる清水組の田中実が設計を担当した建物です。
辰野金吾と言えば、言わずと知れた、2012年に保存復原工事を終えた東京駅を始め、「日本銀行本店」や「旧両国国技館」など、国内外の200件あまりを設計した日本を代表する大建築家です。
唐津と言えば、辰野金吾をはじめとして曽彌達蔵、岡田時太郎、村野藤吾と、この地を故郷とする近代日本を代表する建築家を輩出した所で、言わば建築ファンの聖地とも呼べるかもしれません。
さて、今回はこの、平成20年より3年の月日を経て保存修理工事を経た旧唐津銀行本店にて、館長さんの説明などを辿りながらこの建物の見所などをレポートしたいと思います。

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この建物は銀行として、平成9年まで使われて居り、その翌年に唐津市に寄贈されました。平成14年に唐津市指定重要文化財に指定。平成20年から3年の保存改修工事が行われ、平成23年より一般公開されています。

建築デザインのスタイルは、辰野金吾がイギリス留学時代に流行したヴィクトリア様式のひとつであるクィーン・アン様式を日本化したいわゆる「辰野式」と呼ばれるもので、赤煉瓦に白い御影石を混ぜ、屋根の上に小塔やドームを載せ、王冠のように強調するという、辰野流の工夫が余す所なく発揮されています。

建築デザインのスタイルは、辰野金吾がイギリス留学時代に流行したヴィクトリア様式のひとつであるクィーン・アン様式を日本化したいわゆる「辰野式」と呼ばれるもので、赤煉瓦に白い御影石を混ぜ、屋根の上に小塔やドームを載せ、王冠のように強調するという、辰野流の工夫が余す所なく発揮されています。

屋根は銅板葺及びスレート葺。後にも詳しく記載しますが、この建物は細部に至るまで当時実際に使われた建材、工法を再現しており、経年劣化で雨漏りもあった屋根を葺き替えるに至り、建築当時の宮城県石巻市雄勝町の「雄勝石」を産地とするスレートを使用しました。この改修を終えた後、東日本大震災にて石巻市はその多くのスレートを津波で流されました。その後の東京駅改修では、同じくスレートにて葺き替えるにあたり、入手困難を極めたと、館長さんが教えてくれました。

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以前、こちらの建造物のワークショップにて、その講義を聞かれた方が専門家による解説を聞いて印象的だった言葉が「この建物は言わば、ショートケーキのよう」と表現されたそうです。確かに、一見にはヨーロッパ建築の様相でありながら、ある国に固執して表現をそのまま流用するのでは全く無く、細部に渡ってあらゆる様式が見られ、全ての個所にきめ細かな意匠が見られます。

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話は少し変わりますが、京都は烏丸三条に「みずほ銀行・京都中央支店」があります。

この建物も辰野金吾によるもので清水組が建てたものでしたが、1999年取り壊されました。現在はその建物の外観を一見そっくり模して建てられたものがありますが、それらはほぼ、実際の建材等を復原活用されておらず、例えば分かり易い所で言えば銅板葺のあの、独特の経年による緑錆ではない、始めから緑のペンキが塗られたものだったりします。

この唐津銀行など、銅板葺の独特の色彩に出会う度、あのみずほ銀行のいつまでたっても単なる緑色した屋根を思い浮かべてなんとも言えない気持ちになります。

そして、以前講演で言われた専門家による言葉として、(みずほ銀行京都中央支店の現在の建物を指して)「そっくりだけれど偽物で、我々はそこで影を見ているのと同じ」という言葉を思い出すのです。

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2階へと誘う階段室もこちらの見所。特別なお客様のみかつては登れた階段です。

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銀行ロビーカウンター。

入ってすぐの感覚は、京都に現存する同じく辰野金吾による「京都文化博物館(旧日本銀行京都支店)」の印象に似たもの。

ちなみに最近まで銀行として使われていた頃には、今目の前にあるカウンター全面の装飾は一切存在せず、下部のカウンターのみが残されていたそうです。それを今回の改修にて見事、当時のままの建材、技法、ペンキやニスに至るまで全て、オリジナルに復原された、との事。

「天井には昨今の銀行にありがちな蛍光灯がたくさんぶら下がっている状態でした」と館長さん。

むしろ、逆にそれ以前も見たかったな、と思える程、そのような現代の痕跡は微塵も感じさせない、独特の気品が漂っています。

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これらのオリジナルへの改修が可能だったのには、当時の建築資料が全て、清水組(現在の清水建設)によって保管されていた事が大きかったと館長さんはおっしゃいました。

「大手ゼネコンと言うとどうしても、なんでもかんでも壊して新しくしてしまうなんて印象も多くの人は思われるでしょうが、今回の改修ではやはり大手で時代を越えて現存している組織だからこそ、当時の資料がしっかり保管されていた、とも言えるわけです」と言われ、確かにそうだな、と思いました。この写真は竣工当時のもので、こうした古写真の一枚一枚にも、再現するにあたり貴重な資料となり得たと言われました。

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カウンターのこの真鍮の格子は、もちろん復原したものですが、当時の製法と同じく、職人による手ひねりにて作られたものだそうです。近寄ってみると、その素材にして実に可憐な意匠。

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ロビー中央のこのシャンデリアのみが、当時からあったもので、この優雅な照明も、長らく倉庫にあったものが偶然発見されたと言います。

その他の照明器具に関しては全て、写真資料などを元に、当時の輸入国からオーダーして同じものが作られました。

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館内にある暖炉は各所全て、異なる意匠です。

かつて唐津は石炭の産地にて、この日本が近代化を進めるにあたりその礎を担った所です。

その燃料の産出国として経済発展を遂げた唐津ですから、こうした暖炉も風格があり、まるで神聖なものに見えますね。

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室内の装飾についてはなんと、京都・高島屋が当時受け持っていました。

今回の改修でも、そのルートを全く同じく、京都・高島屋を通して輸入され、こちらのベルベットのカーテンもそのひとつ。

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天井の塗料も全て、当時のオリジナルを再現されました。

何度も塗り替えられていたものを削り取り、木地の最初に出てきたその塗料を分析し、元通りの色目にそうです。

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金庫室にあった金庫は重量は300キロも。

こちらの金庫は勿論、この場所にあったものですが、いつの時代か何をきっかけにしてか、地元の和菓子屋さんにて長年金庫として使用されていたものを偶然に現在の館長さんが発見。店主に了解を得て、今回の改修後に元の位置に戻された、とされます。

この金庫室自体の構造は大変強固で、例え本館が災害に見舞われてもここだけは残るように、大変頑丈につくられています。

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カウンター内側の下部、建物の構造を成す鉄骨も一部見る事が出来ます。

当時は勿論、機械など無く全ては職人による手作り・・・

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こちらは銀行ロビーの内側。

つまり行員の方がおられた側の方です。

カウンターの引き戸の金具に注目。

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たくさんあった引き戸の金具で唯一残っていたのがこちら、たったひとつの金具です。

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これを全く同じ製法にて再現されました。

まだ新しいので色目は若いですが、これから長年に渡って、更にいい味わいの色目になるのでしょう。

一緒に見学した鉄の作家さん曰く「これはびっくり!ネジまで再現してる!今はもう、こんなネジは規格で無いからね。全部手作りだよ」と言っていました。

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1階ロビーにはこの建物にまつわる様々な資料が展示されています。

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こちら2階の吹き抜けですが、最近まで銀行が営業していた頃には残念な事に、この吹き抜けは塞がれていたのだそうです。

今回の改修にあたって目出たく、元の形に直されました。

2階からの窓の光も注いで、空間全体が明るくなった事でしょう。

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唯一、建築当時のオリジナルである照明。

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照明のスイッチも優れた意匠です。

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2階の貴賓室。

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2階総会室。

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2階から更に上へと望む螺旋階段のこの機能美!

現在はステップ板の老朽化にて上へ昇る事は出来ません。

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竣工当時のオリジナルのガラス窓から、これまた同じ時代の照明を望む。

この光景が100年前と変わらないと思うと、なかなか感慨深いですね。

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唐津が誇る建築家「辰野金吾」がどれほどの偉人かという事を、地元の人はそれこそ知ったばかりだと語る館長さん。

東京駅の全面復活は、地元でも追い風となったと言われます。

この建物の価値を知り、そしてもう一度復活させようとした行政の判断には、並々ならぬ多くの人の尽力があっただろうと想像します。

この度の改修には、5億円を越える資金が投入されました。「確かに、建物の耐久年数だけ言えば、もう100年を越えるものですから、色々な意見もあるでしょう。かかる金額もそれが高いか安いか、と言われれば決して安いものではありません。けれどこの唐津の歴史を語る時、日本の近代化や産業の発展を伝える貴重な建物として、私たちは更に100年後に何が伝えられるかを考えなければなりません。建物は無くしてしまえば、言葉でだけで『そんなものがあったんだよ』としか伝えられないけれど、それを残す事。そして子供達に触れさせる事が出来ます。出来るだけ子供達には本物に触れて欲しいと思うのです」と、館長さんが言われた言葉が印象的でした。

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唐津銀行を出れば、周辺には老舗のお店などもある中、日本全体が抱える問題の象徴でもある、いわゆるシャッター商店街が広がります。

けれども一方で、地元の若者らがこの街にとどまり、少しづつではありますが、これらの空きテナントを利用して、手作りの風合いや街の持ったローカルな魅力を生かしたお店もちょこちょこ芽を出しています。
地元名産工芸の「唐津焼」も、若者陶芸作家によるアレンジの生活雑器等も見られたり。
今後、爆発的な経済発展が期待出来ないであろう日本では、ここ唐津でも、どこでも、同じ悩みを抱えているとは言えるかもしれませんが、今一度、埋もれかけたその街ごとの魅力を再発見し、大切に、未来に向かって語りかける事は、ひとつの大事な方法なのかもしれません。

唐津には、戦国時代から近代に至るまで、なかなか興味深い歴史の語り部が点在しています。それらに今後も注目したいな、と思いました。

そして、何故この地で偉大な建築家達が輩出されたのか、という事も。知りたい「なぞなぞ」です。

50周年にしてさようなら。紫野グラウンド。

昨日のフィードに引き続き、本日にてこのグラウンドで部活動を行っていた鴨沂高校サッカー部が利用を終了させられる、との情報が入り、午後2時頃に紫野グラウンドへ行ってきました。が、残念ながら、午前で終了したのでしょうか。もう、既にグラウンドの出入り口の南京錠は固く閉まっていました。
これにて、鴨沂高校生は紫野グラウンドから永遠の別れとなります。

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昨日の野球部によるグラウンド撤収作業の際には、古くからの大会記念の写真見本が大量に出て来たそうです。それらは「捨てられる」と告げられ、部員達は機転を利かせて大切に持ち帰った、とのお話も聞きました。
今日、このグラウンドに集まった在校生サッカー部員らは、荷物の運び出しを行った事でしょうか。もしくは最後の練習に汗したのでしょうか。

(※追記ーサッカー部は始業式後に片付けを行うとの情報が入りました。)

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学生らが体育授業や部活動でまさに利用している最中に、京都府教育委員会は利用者側の合意形成を一切得ずに、また代替地提案もテーブルに乗せずに一方的に奪い去った鴨沂高校専用グラウンドである「紫野グラウンド」。西側には早々と威圧的な重機をもってして新設高校の建設を着工し、それらの浸食する姿に全ての声を無きものにしたのは、不条理の極み、その言葉しか浮かびません。

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と、同時に、今一度当事者側である鴨沂高校在校生に思いを馳せれば、この不条理は一体、学校側や京都府教育委員会側だけが与えた事なのかと言えば・・・それは果たして、そう言い切れるでしょうか。
このグラウンドを鴨沂高校が利用するようになったのは昭和39年4月の事。西暦で言えば1964年。なんと今年で記念碑的な50年という節目に当たります。その間、どれだけ多くの鴨沂生が、このグラウンドを利用した事でしょう。この度の一連のグラウンド問題では、現在校生や今年卒業したばかりの卒業生において、大変な被害にあいながらも懸命に、救いの手を求め、また声を出し、府教委や学校側に要望を重ねました。それに気付かず、手を差し伸べずに結果過ごしてしまった事には恐らく、当方ら同様、心痛める卒業生も多くおられると思います。けれど今一度思いを巡らせると、この50年の最後の後始末までも、まるでツケ払いをさせられるかのように在校生らがやらねばならないのは、それは少なからずこの場所を利用してきた私たち多くの卒業生も、それも彼らにとっては不条理を与えているのでは、という考え方もあるのではないかと、そう思うのです。

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紫野グラウンドを鴨沂生が利用出来るようになった歴史を紐解けば、それはその更に古い世代の先輩方が代々に渡って要望を重ねてようやく利用出来る権利を得た大切な場所だったというのが分かりました。当方80年代後半頃の世代にとってみれば紫野グラウンドはもう、鴨沂にあって当たり前の場所で、まさか20数年後にこのような問題が起こって奪われてしまう等想像もしていない、満たされて、不安も無い、つまりあるべき姿の体育施設環境であったと思います。
それを思う時、現在の在校生には、果たして不条理に陥りそうな感情をなすり付けているのは、誰かだけか?という気持ちにもなるのです。

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今日の京都新聞では、来年度の公立高校の入試募集定員や日程等が記載された記事があがっています。
ここには鴨沂高校の名前と共に定時制の定員数が半減される事と、一方でこの紫野グラウンドに建設中の「清明高校」の名前や概要も記載されています。
http://www.kyoto-np.jp/education/article/20140821000129

様々な思惑や、そう一方ではせねばならないご時世、というものも複雑に背景にあっての事とは想像も出来ますが、今、鴨沂高校に足りない事は何か、という事も、私たち卒業生や関係者には考える事、またその知恵や能力もある筈だと思います。

少なからずこの半世紀に関わりのあった全ての人で出来る事を少しづつ。鴨沂高校はこれからも、終わった訳ではありません。

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グラウンド問題に関する関連資料等を以下サイトに要約しています。
http://coboon.jp/memory.of.ouki/?p=4018