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完全保存版。鴨沂高校「演劇コンクール」の作り方。

はじめに。

この「演魂記」は、昭和58年3月31日(1983年)に、当時の生徒自治会と生徒部、2年生と2年担任会及びPTAによる編集にて発行された、演劇コンクールにおける取り組みの記録をまとめた全73ページに渡る冊子です。

昭和57年度の「演劇コンクール」を取り掛かりから発表、そしてその後の感想まで網羅しており、この一連の記録を書き記す事によって、今後の鴨沂高校における演劇コンクールに対して、そのノウハウを伝えようとした痕跡がありありと伝わる内容となっています。

今回はこの記録をスキャン、PDF化する事によって、現在も鴨沂高校にて継承されている演劇コンクールがかつて、どのような取り組み方によって果たされたものであったか、また、それらを今後も取り組むにあたり、大きなヒントにもなり得るのではと考えるに至りました。

時代が変わったとされ、資料の中には例えば、校舎の構造も変わった、照明機材も違うだろう、指導者も変わった、道具購入先も現在は無い・・・等の細かな条件は異なるかもしれませんが、この鴨沂高校における演劇コンクールが、どのような成り立ちで今も在るのか、その意義については変わる事が無いでしょう。

多くの条件が変わってしまった今も、この資料が今後の鴨沂生の取り組みに際する道しるべになりますように。

 

 

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巻頭に寄せられた当時の校長による文章。「文化祭は表現活動である。鴨沂には自由の伝統があると言われているが、その中心は表現活動であると思う」。IMG-enkon-pdf

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演劇コンクールの意義と歴史が記載されている。これによると「芸術的関心を深め、豊かな情操を養い、鑑賞力、想像力を培う事を目指す。生徒個々の能力を発揮させると共に、集団の力を学ばせる」ことがその意義とされている。また、昭和51年度より6月に開催されていた演劇コンクールを団体鑑賞に切り替えられた事、2年生が秋の文化祭にコンクールに参加する事の方針転換がなさられた事、その理由を受験を控えた3年生にとって費やすエネルギーが大き過ぎる事が挙げられているが、当時の3年生からは猛烈な反対運動が展開された事も記されている。(続く2~3ページはこれまでの演劇コンクールの年表。スキャン省略。)IMG-enkon-pdf

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図書部による「団体鑑賞」の意義説明が記されている。先のページでは6月の演劇コンクールの廃止とそれに変わる「団体鑑賞」について、当時の3年生から反対運動が展開されていた事が記されているにも関わらず、ここでは「団体鑑賞」について生徒側から「本物に触れてみたい。一流のものを鑑賞したい」という声があった事で、この団体鑑賞は始まったとされる内容になっている点が興味深い。IMG-enkon-pdf

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脚本の選定方法やその問題点が記載されている。IMG-enkon-pdf 1 IMG-enkon-pdf 2

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各係による取り組みの日程表が、当時の2年2組を例として記載されている。IMG-enkon-pdf 1  IMG-enkon-pdf

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クラスの取り組みを日誌仕立てにて当時の2年1組を例として記載されている。IMG-enkon-pdf

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当時の2年2組を例として、演劇コンクールに使った費用が表記されている。IMG-enkon-pdf

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各係が必要とする材料道具の調達方法が詳しく記載されている。IMG-enkon-pdf 1 IMG-enkon-pdf 2 IMG-enkon-pdf 3

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学校から貸し出し出来るつい立てや演台の一覧表と共に、舞台(講堂)の構造が図解されている。IMG-enkon-pdf 1 IMG-enkon-pdf

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大道具の設計図として、当時の2年1組の「モンテ・クリスト伯」を例に図解されている。IMG-enkon-pdf 1 IMG-enkon-pdf

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大道具の設計図として、当時の2年7組「地獄変」を例に図解されている。IMG-enkon-pdf 1 IMG-enkon-pdf

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各クラスにおける学校からの貸し出し備品一覧と、劇団「人間座」による指導日程表及び舞台稽古の使用割当表。IMG-enkon-pdf

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上演当日の注意事項が記載されている。IMG-enkon-pdf

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当時の2年3組を例に、上演当日の役割分担表がまとめられている。IMG-enkon-pdf

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大道具の搬入搬出の経路図。IMG-enkon-pdf

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上演当日における1年、3年生の生活執行委員の役割分担がそれぞれに記載されている。IMG-enkon-pdf

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演劇コンクールにおける2年各クラスの文化執行委員の仕事内容とそのスケジュールがまとめられている。IMG-enkon-pdf 1 IMG-enkon-pdf

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演劇コンクールにおける審査基準の記載、審査用紙の添付。IMG-enkon-pdf

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昭和57年度における演劇コンクールに対する審査結果と審査講評が記載されている。IMG-enkon-pdf 1 IMG-enkon-pdf 2 IMG-enkon-pdf3 IMG-enkon-pdf 4 IMG-enkon-pdf IMG-enkon-pdf

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演劇コンクールにおけるポスターの審査基準及び、昭和57年度の審査結果・審査講評が記載されている。IMG-enkon-pdf1 IMG-enkon-pdf 2 IMG-enkon-pdf

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演劇コンクール後のクラス毎アンケート結果内容が、例として当時の2年5組、2年7組の分が添付されている。(これに続き、41~46ページに関しては学生個人代表らの感想文が続くがスキャン省略。)IMG-enkon-pdf 1 IMG-enkon-pdf 2 IMG-enkon-pdf 3 IMG-enkon-pdf

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演劇を上演するための仕事の手順、脚本の選定方法、各係の決定や役割が詳細に記載されている。IMG-enkon-pdf 1 IMG-enkon-pdf2 IMG-enkon-pdf 3 IMG-enkon-pdf 4 IMG-enkon-pdf 5 IMG-enkon-pdf

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各係における役割やその造作制作の具体例、注意点などが図解もあわせて詳細に記載されている。IMG-enkon-pdf 1IMG-enkon-pdf 2IMG-enkon-pdf 3IMG-enkon-pdf4IMG-enkon-pdf 5IMG-enkon-pdf 6IMG-enkon-pdf 7IMG-enkon-pdf 8IMG-enkon-pdf9IMG-enkon-pdf(10IMG-enkon-pdf11IMG-enkon-pdf12IMG-enkon-pdf13IMG-enkon-pdf14IMG-enkon-pdf15IMG-enkon-pdf

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各係の取り組みの日程やその問題点を、アドバイスや留意点も含めて細かに記載されている。IMG-enkon-pdf1 IMG-enkon-pdf 2 IMG-enkon-pdf

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巻末。編集後記に記述されている「本誌は57年度2学年演コン記録の他に、本校演コンについてのノウハウを系統的に編集しました。」「新3年生にとっては、2年時の充実した青春の思い出として、新1・2年生にとっては、演コンの入門書・手引書として、すぐにでも役立つものと思います。また、本誌が本校の伝統ある演コンを守り育て、更に充実させてゆく指標になる事を念じております。」との言葉通り、全ページに渡って読み進めると、この記録がどれほどの熱意でもって、また後輩らの為にも残されたものであったかが、伝わってくると思います。IMG-enkon-pdf

 

何かが確実に違う・・・

<ちょっとヨコミチ/熊本県立玉名高校の場合>

~あるんですよね。何が違うんだろ。戦前校舎が今も活かされている例。

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 熊本県にある県立玉名高校。

http://sakura1.higo.ed.jp/sh/tamanash/

 昭和12年に建造され、本館は鉄筋コンクリート造りの3階建てで幾何学的なデザインが取り入れられ、地元では「白亜の殿堂」として親しまれているそうです。こちらの建物は平成13年、本館と前庭池、正門が国の登録有形文化財に指定されました。学校が創立して100周年を迎える僅か前の事。当時の校長は「本館などは地域のシンボル的存在で卒業生たちの誇り。登録は100周年を前に良い記念になった」と喜びを語ったのだそうです。

 しかしこうした文化財登録がされたこちらの校舎群も、以前には建て替え計画が持ち上がり、その際には「当時の校長が体を張って阻止した」経緯もあったのだそうです。内部に関しては老朽化が進んでいたために2億円をかけて天井や床などの補修工事が行われました。

 加えて同高校の同窓会組織は、100周年記念行事に取り組む際、在校生が合宿に使っている古ぼけた「同窓会館」を「柱や梁は立派でまだ使える。来世紀は環境の時代。取り壊してごみを出しては記念事業にならない」として改修する事に決め、加えて文化庁に向けて先の文化財登録には積極的に指定に向けて組織だてて働きかけた経緯をお持ちです。

 竣工年は現在の鴨沂校舎と同年代建物。この当時は戦後復興から高度成長期にさかんに建てられた質の悪いコンクリートでは無く、良質な砂や砂利、セメントを使って丁寧に建設されている事は専門家らによる調査報告によるものです。また、こちらの学校の建設の際には予算が足りず、鴨沂の校舎がそうであったように、同窓生や地域住民らによる浄財にも頼って建てられたのだそう。

 同高校サイト内に、校舎の文化財登録及び100周年記念に際して国語科教師から寄せられた言葉が印象的です。

 「人は100年あれば何ができるだろう。人が個人で為す体験など、たいしたことではない。この白亜の殿堂は喜び、悲しみ、苦悩、葛藤を内包し、歓喜の雄叫び、感動の涙といった万を越える数の青春を見続けてきた。そして今年、玉名高校として55回目の卒業生を送り出そうとしている。放課後、帰宅を急ぐ玉高生の一人が正門を出たところで校舎に向かって一礼している姿を見た。ほっとした。継承すべきものを私達はまだ見失っているわけではない」。

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参考資料/「消された校舎~旭丘高校校舎建て替えてんまつ記」及び熊本県立玉名高校公式サイト内(学校紹介→本館ページ)

演劇コンクールは鴨沂の魂。

「実は結構佳作が多い。鴨沂発・冊子もの表紙。」その⑤

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 昭和58年の3月に発行されたこちら「演魂記」。

 鴨沂高校において、演劇コンクールの取り組みを詳細に記した、全73ページに渡る冊子です。

 昭和57年度の校内演劇コンクールの記録として、またこれまでの演コンの歴史や、その取り組みの日程、発表までのスケジュール、舞台装置、設営に関する資料、メイクの仕方、照明についてなどなど、各クラスの劇の記録だけに留まらず、これを見れば鴨沂高校の演劇コンクールとは?が全て網羅された、当時初の詳細資料となっています。

 あとがきには「新3年生には2年の時の充実した青春の思い出として、新1、2年生にとっては、演コンの入門書・手引書として、すぐに役立つものと思います」と書かれて居り、鴨沂の演劇コンクールがいかに本気かということを、後世にも伝えたいとする思いのようなものがひしひしと伝わってきます。

 この資料に関しては勿論学生主体のもと、教職員の協力と共に、発行に際する費用には当時のPTAの方々の支援の元で成されたとされ、3者の協力と理解によって支えられた結晶とも言えると思います。

 思えば発表当日に至るまでも、指導や審査にはプロの劇団員らの厳しい指導と審査が行われ、演劇部や放送部なども一体となって、なかなか本格的なコンクールだったなと振り返ります。

 校風が一変したとされる現在の鴨沂でも先の文化祭では演劇コンクールは開催されたとの事ですが、伝え聞く話にはなかなか、審査過程で演劇外での減点が行われたなど不透明な点があり、疑念を持つ在校生らの声も囁かれるという不穏な空気も流れておりますが・・・是非とも今こそ、この「演魂記」が自治会室(現在は生徒会と名称を変えたようです)に仮移転後も保管されているならば、今後の取り組みの参考にしてはいかがでしょうか。

 さて、現在進めておりますのは、この演劇コンクールの歴史を紐解く事。この貴重な資料は勿論、その読み解きにも大いに役立つ内容となっています。

 近日中の公開を目指しておりますので、是非ともお楽しみに!

失う事は本当に、正しかったのか。

<ちょっとヨコミチ。これも時代の潮流>

~東京発。戦前建物の保存活用。

            ♢

昭和13年の「旧国立公衆衛生院」の保存が決まった事を報じた電子新聞記事。

本来の使用用途から異なる用途での転用も珍しいと記されているけれど、これは欧米では既に積極的に取り組まれているお話。

以前、鴨沂に長くおられる教員の方が鴨沂校舎を指して「物の無い時代に建てられたからね。丈夫じゃ無いんだよ」という言葉は、自分達が全く知る由もない時代への想像と思い込み、そして戦前期のコンクリート建築に対して見識があられなかったんだ、という事、そして我々もそうした専門知識を全く有していなかった事も振り返ってまことに残念に思う。

昭和13年以前には、それまでの多くの災害や、来るべく戦争に対して、国家を挙げて強く身構えた公共建築が築かれたのだそうだ。それらをしるし、証明した専門書や専門機関による調査書は多く存在する。これ以降、特別な施設以外には、戦中には建設される事は無かった。

そうした意味でも、昭和8年から13年に至る鴨沂の校舎群を振り返る時、ただメモリアルや思いの有る無しで判断され、失われ行く事が本当に正しかったのか・・・途方も無い気持ちになる。

記事リンク↓

http://www.asahi.com/articles/ASGBP2J54GBPUTIL003.html