月別アーカイブ: 2015年1月

さて。どの先生をかつぐと面白いかな!

<ちょっとヨコミチ~アメリカの高校生達が課題で作ったダンスビデオで気分をあげて>

もうはやいもので2015年になったばかりと思っていたら、あと僅かで1月が終わってしまいます。
今日は京都でも雪がちらつき、そうそう、節分の頃には毎年、空がこんな感じになるなあと思ったり。色々ある時節柄、お気楽に踊ってみるのもどうか、と思いながら。けれど、ちょっと冷たく重い日々には、週末ですもの娯楽要素も必要。と、言う事で。アメリカからダンス動画をシェア。

アメリカ・テキサス州ダラスにある高校。
「学生達に課題を与え、チームを組ませてそれぞれで解決策を考える」というのがこの学校の教育方針。その方針のもと、制作期間3週間、高校生達が授業の一環として完成したのがこの動画。これが課題。これが授業。
ちなみにセンターをキープし続けるのはこの高校で演劇を教えるスコット先生。高校の授業で「演劇」・・・学生らも思い思いの格好。私服、演劇コンクール、 チームワークで「仰げば尊し」パレード(元々は先生を担いだのが起源)・・・ちょっとなんだかかぶってる。鴨沂高校も、惜しかったなぁ。いや、クウォリティ的には全然勝ってたかも。なんて。
ダンス動画の音楽は今まさに旬なヒット曲、Mark Ronson ft. Bruno Marsの「Uptown Funk」。21世紀型ファンクミュージックがこの学校としたら、鴨沂のあの校舎でこんなビデオ作ったら、どんな音楽、どんなダンスがお似合いだったか な。

この動画。今年1月24日に公開されて、今や900万回を超えそうな勢いで世界中で再生されています。こんな学校楽しそう!
まだまだ寒い日が続きますが、見てると気持ちがとっても上がりますので、是非☆

Don’t believe me, just watch !

https://www.youtube.com/watch…

None of this would have been possible without the hard work and dedication of Director/Theatre Arts Teacher Scot Pankey & his classes with help of Camera cre…
youtube.com

これは素敵なアプローチ

<ちょっとヨコミチ。これってとても、素敵なアプローチだな>

〜ノルウェイ・オスロから拡がった、SNSが繋ぐ写真プロジェクトに学ぶ、の巻。


ネットよりシェア。

「かわいそうな私たち」。写真プロジェクトのタイトルにまず、どっきりしてしまう。
ノルウェイはオスロ。都市の近代化が進みアスファルトやコンクリート建築が増加するにつれ、オスロという街に嫌悪感を抱く人が増えた。パリ、あるいはロー マと比較され、暗い、寒い、建物が醜い、人々は自分勝手・・・自分達の暮らす街に次々とネガティブなレッテルが貼られてゆく。そこで立ち上がったのがこの 街の住人でブロガーの二人。「オスロがどれだけ素晴らしい場所かを、みんなで見つめなおしたい」。二人は写真プロジェクト「かわいそうな私たち」という企 画を立ち上げた。画像共有サイトのインスタグラムを中心に、街の素敵なワンシーン写真を一般公募するというのがこの企画の内容だ。

もちろん、「かわいそうな私たち」というプロジェクトタイトルは、貼られた街のレッテルへの皮肉である。ちょっとズレるかもしれないけれど、例えば以前日 本でも2007年に財政破綻した北海道・夕張で、自虐的ゆるきゃらの先駆的存在だった「夕張夫妻」(負債と夫妻をかけたもの)が企画的に当時大成功を収め たのと、ある意味思考のエッセンスとしては似てなくも無い。が、オスロのそれは、仮に夕張のように広告代理店や自治体側の一方通行発信でなく、観客側を受 け身側に追いやっていない。それこそ市民を巻き込んで、みんなで考える、視点を変えてみる事に直接参加させる・・・という事を見事やってのけ、それはやが てオスロから国内、そして全世界の注目を得る事に大成功した。

参加した人々から続々と投稿されたオスロの街の写真を見れば、それぞれの視点で切り取られたお気に入りの光景が、日常の中、パーソナルな視点の集合体とし て垣間みる事が出来る。その一枚一枚の写真を見るたび、キャッチコピーである「かわいそうな私たち」という言葉にツッコミを入れたくなる、という仕組み。 人々がいかに、自分達の街「オスロ」を愛しているか。その溢れる気持ちが観客側であるこちら側にもひしひしと伝わってくる。もの凄い著名な写真家達が撮っ た、劇場のような写真では無いからこそ、この街がどれだけ多くの人に愛されていて、またどれだけ魅力があるのか・・・という事が、よく分かる。

この素敵な企画を知って、色々と考えさせられた。
まず、これは企画の勝利であるという事。SNSというシステムの利点を熟知し、またそれをいかんなく使った事。そして、多くの人達をおいてけぼりにせず、 観客側に発信する一方で周囲を受け身側にのみ追いやらなかった事だ。多くの人達に対して投稿する事のハードルを下げ、また写真を見せる、見られる事で競争 心を煽り、その視点を被写体である自分達の街により、フォーカスさせた。
そして、もっと踏み込むと、これは習って鴨沂にだって、恐らくは出来た事な筈だ。おんぼろ老朽化校舎、時代遅れの教育環境、学力低下、学生に不人気・・・ ネガティブなレッテルなんて、オスロに負けず劣らず近年はもう、ベタベタに貼られまくっていた。そんな八方ふさがりの状況でも、私たちの頭が仮に柔軟で あったなら、もっとポジティブに捉えていたら、逆転発想で、こんな事くらいわけなく出来たかも、と思う。校舎がおんぼろだったのは、何も今に始まった事で は無い。それでもなんだかんだ、あの鴨沂でみんな、日々を思いきり楽しんでいた筈だ。個々の記憶の中でプライドにも思っていた筈で、また個々の中のステイ タスもあった筈。大好きだったもの、大好きだった事、それぞれにあった筈だから、それらをもっと自由に、多くの人で発信し、また共有出来るステージを造る べきだった。そう思う。

いやはや。
何せ色々と、問題が多過ぎて、解明するにも一苦労で、ちょっと、頭が固くなっちゃっていたかもしれませんね。

「かわいそうな(鴨沂生な)私たち」みたいな、痛快なアプローチで何か、やってみる事はとても意義がありそうな。そんな気持ちがしています。
残念ながら、今、またこれからの鴨沂を私たちは写真に撮る事、また語る事は当事者じゃ無いから出来ませんので、今後の鴨沂の素晴らしさについては、それはこれからの学校広報や今後の鴨沂生にお任せするとしましょう。
が、我々みんなが知っている鴨沂の魅力は、善し悪しみんな、私たちみんなだからこそ、発信出来るんじゃ無いかと、思うのです。
それもただ、たそがれてしまう、というだけでなく。
http://www.huffingtonpost.jp/asaki-abumi/stakkarsoss_b_6558920.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000001

地下道について、掘り下げてみる。

<やっぱり鴨沂の地下道&上屋は、そんじょそこらのものじゃあない。>
~日本における地下道について、掘り下げてみる。そして署名運動。やっています、の巻。

今年半ばより始めました、鴨沂高校に今もまだ、解体されずに残っている地下道及び上屋に関する電子署名をオープンしています。が・・・
なかなか伸び悩み、これは広報努力が足りないんだな・・・と、ちょっと引きこもって(苦笑)、そもそもの原点である「地下道」というものを、日本全体から今一度調べてみる事にしました。もうほとんど、マニア・・・ですが、もしも最後まで読んで、また「ほほう!」と思われましたら、加えて電子署名にも主旨説明を書いておりますので、賛同下さる方はどうか、まずは一歩の電子署名への御協力を、お願い申し上げます。
↓↓↓

さて、では「地下道」とは。この言葉をまず調べて見ると、おおよそ、以下の説明となります。

「地下または土中をくりぬいて設置された不特定多数の通行のためのトンネル通路のこと。地上の歩道橋などと比較して建設に多額の費用がかかり、一般的には景観優先、架橋用の土地を確保するのが難しい場合に設置される事が多い。また軍事目的で地下道を掘る例も多い」。

ちなみに、「学校」にまつわる側面から追えば、上記の説明にある通り、地上の歩道橋が最も一般的でしょう。道路を横断する学童専用陸橋は、愛知県の清須市 を走る県道67号線にあった小学校の通学路にて、当時横断の際に事故が頻発し、児童の重傷事故をきっかけとして1959年(昭和34年)に日本で最初の歩 道橋が誕生したそうです(県道の拡幅工事に伴い、2010年に取り壊された)。

再度、今度は日本における「地下道」あるいは「地下トンネル」という言葉でネット検索すると、まず「地下街」「鉄道トンネル」などが大量にヒットします。 これに「日本最古」という言葉を付け加えても、それは変わりません。珍景やミステリースポット、都市伝説的なものばかりヒットしますが、いわゆる純粋な意 味での現存する地下道というものはなかなか上がってきません。
それでは「地下道」「学校施設」という言葉で検索すると、「大阪市立天王寺小学校」にそれはあると出ました。wikiではそれを指して「日本全国を見ても ほとんど例がない」と書かれています。学校南側に国道が通っており、児童の安全のため、道路南側歩道から地下を通り、直接学校校内へと繋がる児童専用地下 道が設置されています。学校自体の歴史も130年超と古いので、ちょっと気になって小学校の沿革を見ると、地下道に関しては1962年に完成したという事 なので、鴨沂高校に現存している1899年、明治32年製の地下道よりも全然若い事が分かりました。
↓大阪市立天王寺小学校サイト沿革
http://www.ocec.ne.jp/es/tennouzi-es/history.html
また、1964年には北海道札幌でも車通りの多い国道を横断する小学校、中学、高校で(現在高校は閉校)安全のために「通学路に橋またはトンネルを繋いで 欲しい」との当時の校長らによる請願にて、橋では冬季の除雪を考えると不向きとの理由で地下道建設に向かったとされ、これも現存しているようです。

いずれにせよ、通学路を安全に渡るために対岸の歩道から校舎側へと渡る為に造られたものである事から、現存の鴨沂高校における「道路両側をまたぐ高校敷地 を専用に渡る為の地下道」という点でも、またはるかに古い(つまり当時では最先端の)竣工年についても、やはりこれは日本において、本当の意味で類例の無 い存在なのでは無いか、と思われます。
ちなみに明治期の京都における、主に公共の建築土木の歴史を調べると、京都~大阪間の鉄道が開通したのが1876年(明治9年)、翌年には京都~神戸間鉄 道開業で初代「京都駅舎七条ステンショ」が誕生、「琵琶湖疎水蹴上インクライン」が完成したのは1889年、「琵琶湖疎水工事竣工」が翌年、日本初の市電 が開業したのが1895年・・・と、いわゆる京都における(京都の小学生が知っているようなレベルの)近代化の波の中で、ただ一女学校の施設に関して、こ うした工事が行われたという点をとっても、時代の上をいく最先端の考えの元で造られた地下道であったのでは無いでしょうか。
↓京都の明治時代以降の京都府の歴史年表
http://www.region-labo.com/archives/prefecture/history-kyoto/

さて、このように、道路を地下に通過しているものについて、その管理という点でも少々気になったので、これもまた調べてみました。

地下道の管理について。
「日本の道路法上、地下道はトンネルとして道路構造令34条に規定されている」。
日本の公道の地下を利用して作られた地下道は、道路法上の道路管理者によって道路として管理される。商用、あるいは通行の妨げになるような店舗や設置物 は原則認められず、例外的に道路管理者から道路占用許可を得た場合にのみ認められる。また商用の場合には道路管理者は必要に応じて道路占用料の徴収が認められる」。

と、言う事は・・・詳しい法令等はよく分からないとしても、鴨沂の地下トンネルの場合には上を走る道路は「荒神口通」となる訳だから、この道路の管理者は どこだ?という事になります。荒神口通は正式には「荒神口通 (京都市道春日緯6号線)」と呼ぶそうなので、つまり、府道では無く市道という事になります。という事はつまり、上記の文言をそのまま解釈すればこの学校 地下道の管理者は「京都市」という事になります。この地下道の存続について、京都市側はどのように考えているのか、そうなると気がかりです。
が、いずれにせよ学校施設であるから商用というカテゴリーでは無いし、京都市側から道路占用料などが徴収される事は、京都府もまた鴨沂高校も無い筈。そも そも、竣工から110年以上の時が経ち、これまでずっと活用してきたものに対して、京都市側からあらたに許可をとらねばならないような、そんな書類上難し い事があるでしょうか。あるいは、そうした手間について互いの行政が渋る理由があるでしょうか。よもや、それが面倒なだけの(無くす事の)理由だったり? ともあれ、京都市側がどのように考えているかは聞いてみたいですね。

以上。
それでは、これは調べた上でのおまけ資料として、地下道、地下トンネル、地下街というもので日本で最古と言われるものを挙げておこうと思います。

日本最古の地下道
大分県中津市の「青の洞門」で名勝耶馬渓に含まれ、山国川に面してそそり立つ競秀峰の裾に位置する。全長約342mでそのうちトンネル部分は約144m。 1750年に第一期工事が完成、最終的に開通したのは1763年。石工たちにより、ノミと槌だけで30年がかりで彫り抜いたとされる。明治39年に陸軍の 演習場への輸送路整備のため大改装され、車両通行出来るよう拡幅された。一部当時の手彫り洞が残る。

日本最古の現役鉄道トンネル
保土ヶ谷区と戸塚区にまたがった形で通る「清水谷戸トンネル」1887年(明治20年)竣工。日本で17番目のトンネルで、現役では日本最古。

日本最古の地下街
東京メトロ銀座線の神田駅地下通路。神田駅開業の翌年、1932年(昭和7年)「須田町ストア」としてオープン。最盛期には23店舗が営業。約70m続く この地下街は、2011年に、78年の歴史を閉じた。また、これに伴い現存する地下街としては国内最古とされるのが東京・銀座の三原橋地下街。東銀座4丁 目に位置し、昭和27年に完成。が、こちらも昨年5月下旬より地下部分と両側建物を含めて撤去作業が行われる。またこれを保存再生しようと若者や建築家・ 研究者らが2014年3月に「三原橋の将来を考える会」として動き出していた。

最後に。
どうぞ、鴨沂高校における地下道&上屋の今後について、御協力をお願い申し上げます。

https://www.change.org/p/京都府教育委員会-解体中の校舎に残る近代化遺産-過去と未来を繋ぐ地下トンネルと上屋をこれからも活用しよう

京都迎賓館は、そりゃ是が非にも使わないとね・・・

「よろしゅおしたな、京都。」

東京は明治期にあった迎賓館。元々は東京オリンピックに向けて大規模和風迎賓館に建て替えの方針を舛添知事が打ち出していたものに、最終的には小規模.復元の方針に転換したと、記事は伝えています。

この問題に関して、京都迎賓館を上回る規模のものが東京に出来るとなると、京都迎賓館の利用頻度が減りかねないとして、京都門川市長及び山田府知事は「和の総本山は京都」と、昨年京都を訪れた舛添知事に対しけん制した・・・
とは、以前フィードで触れた事がありますが、このような結論になり、さぞ安堵されている事でしょう。

・・・って、こんな事なら、京都市も府も、連携出来るんだなあ。
「守る」という主旨にも、こんな「時と場合」があるらしいです。

http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20150124000081

ほんとうに、日本は進化したのですか?豊かになったのですか?

<京都デジタルアーカイブを眺める>

明治末から大正時代における京都の街の写真がデジタルアーカイブによって見る事が出来ます。

この中でいくつか、当時から今も残っている建物の姿もあります。

古いものに思いを馳せるとそれはふわっとノスタルジーにくくられがちですが、筆者は勿論、この時代をまったく知らない訳ですから、それでも何故こうも、こうした写真で見る京都の街に、惹かれるのかな・・・と思います。

それと、やはりどう見ても、おおよそ、この頃の建物って、どれもカッコいいなあ、と・・・。木造建築に西洋建築が混在しているのに、現代のようなガタガタと調和の無い、好き勝手な街の感じがしない。それぞれのクウォリティの高さみたいな、造る事の出力が、揃っているからなんでしょうか。その時代に生きた人々の審美眼が、優れていたからでしょうか。

豊かになったと言うけれど、一体何が、豊かになったんでしょう、と。

https://www.google.com/culturalinstitute/exhibit/京都散策 明治末~大正初期/QQvf834X?hl=ja&position=0%2C-1