月別アーカイブ: 2015年2月

安心安全はお金で買う?

<ちょっとヨコミチ/京都のとある小学校校舎事情>
~「知ろうとしない」と「知る事が出来ない」の間をすり抜けてゆく決まり事。決まらない事。

先の日曜日の読売新聞京都版に、京都府木津川市にある奈良時代に聖武天皇が造営した恭仁宮(くにきゅう)の跡地に建つ「木津川市立恭仁小学校」の木造校舎において、耐震工事計画が進んでいない、という記事があった。
http://www.yomiuri.co.jp/…/ky…/news/20150221-OYTNT50439.html
その理由は「工事を希望する業者の集まりが悪く入札が行えないため」。
1934年の室戸台風で倒壊した前校舎から再建された、1936年竣工の木造校舎。2012年度の耐震診断にて「大規模地震で倒壊、また崩壊の危険性が高 い」と判定されたものの、木津川市は「現校舎は当時地域住民が資金や木材を寄付し、教職員と共に建設に携わったとされ、また地域のシンボルにもなっている 事」から、校舎を全面改築で無く、改修する方針を選択した。竣工年、皆さんからの寄付、シンボリックな存在に耐震診断結果が下された台詞までシンクロする 鴨沂と恭仁小。大きく異なるのはそれら評価を踏まえた上で導かれた真逆の行政方針。だったのに・・・
工事が行われない理由を入札業者が現れなかった事に限定した上で記事は若干踏み込んでいる。業者側の言い分を取り上げ、入札不参加の理由は「全国的な大工 不足に加え、木造の小規模施設は工期が長いわりに工事費が低いため敬遠される」。つまり、記事のキャッチコピーにもあるように「工期が長く、工費が安 い」。言えば手間の割に儲けが薄い、という事をここでは言いたいのだろう。本来ならば他にも、様々な要因もあろうかとは思うけれど。
こうした裏事情にあかるくない我々一般人。だからこそ率直に「だけど、だから、なんで?」という気持ちにもなる。

さて。ここではあくまでも木造校舎に関して触れられているが、このような事例は鉄筋コンクリート造建築にもあるようだ。
現在保存活用運動が展開されている、1964年完成、20世紀後半を代表する建築家・丹下健三設計(代表作に同年建設の東京オリンピック国立屋内総合競技 場)による「香川県立体育館」は、船を模した外観が大変特徴的な建築。耐震改修の為の調査を行った際、競技場の天井が落下する恐れがあるとして、香川県は これまで耐震改修工事の入札を3度に渡り行ったが、いずれも応札業者は現れず、耐震改修は見送られる事になり、2014年9月末をもって閉館、今後は取り 壊すか、何らかの形で建物を残すかは今だ決まって居ないという。

全く、我々の理解どころか、そもそも知識も乏しく、また目に見える事情以外の真相が、これら大きな金額が動くであろう公共施設において、利害関係も複雑に絡まっているんだろうなあ、という想像しか出来ないのはもどかしい。
実際、我らが鴨沂校舎においても、2013年、校舎全面解体が決定事項だった時期に建築家の方々らと校舎見学を行った際、これまで公表されていた校舎の耐 震数値「IS値0.16」を告げると、皆さん一様に「そんな数値が出るなんていくらなんでもありえない」「(数値は)悪意を感じる」と言われた。あれだけ 林立している、しかも通常よりも立派な径の柱の数からすれば、我々素人は鵜呑みせざるを得なかった、しかもよく分からない、けれども解体する方針決定の根 拠とされた数値は、専門家からすれば「ありえない」のだそうだ。だから、より詳しい構造の専門家にセカンドオピニオンを求めるべきと言われた。(アドバイ スの元で再検討調査報告を行った頂いたものをサイト側に掲載しています→http://coboon.jp/memory.of.ouki/?p=3240
そしてまた別の建築家の方らが吐露された。「改築と比べて改修の方が、手間な割に利益が薄いから・・・」。
しかしながら、一般の中では今だ「改築より改修の方が高くつく」という曖昧な定説を吹き込まれて、それを一元的に信じて疑わない人も多い。
冷静に考えてみれば、工費だけを取り上げればそんな訳無いだろう。実際、ゼロよりもあるものを利用する方が資材量は格段に少なく済む筈だ。ついでに言えば 現在鴨沂で行われているような埋蔵調査なんてものもしなくて済む。つまり、掘れば何かしら出てくる京都という土地柄ではより、工期の短縮も出来る筈だ。こ れが減価償却的視点の元で費用対効果としてのみ語られるなら一定の理解は出来るが、当たり前だけれど今在るものは失ってしまうと元には戻らない。であるか らこそ、様々な意見を慎重に取り込んで、真に多角的な議論の上で物事は決定されるべきである。それが公共施設であるなら尚だろう。設計プランも出されず議 論も果たさないまま解体工事を着手をするなんて論外である。
鴨沂校舎においては耐震診断結果が出た10年近くもの間、我々の手に触れる範囲で議論された形跡は無かった。その後いきなり決め事になると「限られた敷 地」「限られた時間」であり、それは「子供達の安心安全のため」と総括された。しかしながら実際の実施設計を紐解くと、今はありもしない部活動用の設備投 資にやたら地下だらけの鴨沂新校舎における大規模改築プラン。それなのに実際今まさに困窮している筈の運動場確保や整備は停滞している。結局、主体である のは誰なのかというのが分からなくなる。一体、公共事業というものは、今はまだ空気のような存在には予算を盛ることが出来る、という事なんだろうか。それ とも、何かしらの補助金制度が、改修と改築では大きく異なるのだろうか・・・などと想像するしかない。
本当の事というのは分からないのは常と言われればそれでおしまいだけれど、より分からなくさせてしまうのが、何かしらの決定事の枕詞に、とってつけたよう な理由付の膨大さにある。それもこれまでの民主制の成れの果てで、プロテクトする言葉がそれらを批判するのに上回ってしまっている結果なのかもしれない。 そしてそんな主旨一貫性の無いシナリオ作りが作業の重きになっている観が否めない。
今日、いずれも苦しい財政状況にあり、負の財産を変わらず増やし続ける中、日々節約の工夫を重ねる我々市民感覚で言えば、「業界あるある」と、それにタッ グする行政体質であることは揺ぎない、と仮定すれば、「おかしいやん?」という感覚にもなる。別にオンブズマン的な市民運動を起こそうなんてたいそうな話 じゃない。勿論、利益の無い仕事では業界に携わる人達だって生きていけない。そしてそうした仕事に関わる組織を生かし育むのに公共事業は一躍を担ってい る。時折あからさまに街中で矛盾を感じる公工事の現実もあるけれど、全てが全て目くじら立てる事ばかりじゃない。色んな主義主張を展開されれば、それらの 事務処理だけでいっぱいになり、訂正に訂正を重ねる行政という船の舵取りは、我々庶民の想像を絶する程大変な事だろう。出来るだけすんなり、文句もつけら れないで物事がすんなり済む方が楽なのは自分も人間だから分からなくも無い。でも、これじゃあいつまでも矛盾から来る不信の溝は埋まらないし、貴重な財産 にして本来は今後も活かす事が出来る筈のものが、手元に残らない。そしてあらゆる責任を誰もとらぬまま持ち越して、未来にとんでもないツケ回しをしている としたら・・・ってこれって、今の日本がまさに、過去からのツケ回しのツケを払ってるお話の、有名な一要因じゃなかったっけ?と。
残念ながら、我々もそして現代の若者、あるいはご自身らの子供達も、言われる「逃げ切り世代」じゃない。こうした事情を鑑み、不透明でよく分からない事情 とその結果情報だけでは、周囲の大人の方々らに言われたりする「綺麗にしてもらえるんやし良いやん」なんて言葉に、「そうですねえ」「楽しみですねえ」な んて、ケセラセラで時代錯誤な言葉を返す気にはとてもなれない。

震災復興やオリンピック開催に向けたゼネコン祭に湧く日本にあって、しかも人材不足、資材費高騰の最中、地方の各所で工事の遅れや入札不調などと言われる 折に、ありがたくも鴨沂高校校舎の新築工事にはむしろ入札予定価格よりも下回る金額にて、落札して下さる業者が決まった。
結局、不足無いお金さえ出るなら、工事出来る会社ってやっぱり集まるんだ、資材も調達出来るんだ、ともつい思ってしまう。そして先の同じく京都における小 学校校舎のようなケースを考えると、それはとても隠喩された何かを思わせ、なんとも言えない気持ちにもなる。これまで方々で聞かされた「子供達の安心・安 全のため」というスローガンも、どうやらそれは公教育の現場であっても、安心と安全はお財布事情で購入出来るか否かは決まるらしい。
昨今やたらに言われるようになった「道徳」。小学校であれ高校であれ、いずれも教育のなされる場所にあって、その行われる事が複雑で善悪交わる大人の事情 をはらんでいるとしたら、「嘘はつかない」「人を騙さない」「ものを大切に」「命を大切に」、誠意とか誠実とか正直であれ、とか、もっとも根本的な生き方 というものを教わるべきとされる場所にあって、それこそ子供達が翻弄され、その上に立たされて知らぬ間に大人の事情を呑まされているとしたら、それは仮に もあの学校に関わりのあった当方らとしては、とても受け入れ難い話である。
たとえこうした事情に関わる人達が、耳元でノンオフィシャルにざっくりと総括して「そんなキレイ事ではやってけないんだよ」と、囁いたとしても。

 ◇1936年建て替え 工期長く工費安い
yomiuri.co.jp

卒業。おめでとうございます。

「今日は卒業式」。

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2月ももうすぐ終わり。天気予報で「冬将軍がやってくる」と言っていたとおり、コロコロと空の色が変わる、ちょっと寒い1日でした。

今日は鴨沂高校の卒業式。もちろん、仮校舎での開催なので、同時刻頃の本校舎には人影もありません。

正門はぴたりと閉じられたまま、行った頃には重機での掘削の音も無く静かで、梅の花もぽつぽつと可憐な花を咲かせていました。新卒業生らも、今日はまたきっと色とりどりの晴れ姿で居るのだろうな。そう。今年の卒業生で、開校以来私服だった鴨沂生はみんな、巣立ってゆきます。

考えてみれば、今年の卒業生はこの校舎と仮校舎で半々という学生生活を過ごしました。色々な決め事が替わってしまう中、我々の想像以上の日々だっただろうな、でも、若さゆえの明るさで乗り切った日々だったろうな、そんな風に想像する事しか出来ません。

彼等が半分を過ごした仮校舎は京都府のものではありませんから、いつか年月が経って帰る場所、振り返る場所はここになります。その遠い日に、またよく思い出してもらえればいいなと願っています。

お隣の荒神さんは毎月28日恒例の「荒神護摩供」の準備。境内の土塀には今月のありがたいお言葉が掲げてありました。

「運も不運も その人の手の中にある」。

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えらそうな事はとても言えない先輩の一人なので、この言葉をお借りして未来ある卒業生らへの餞に。

最後に、女学校時代からずっと、鴨沂の敷地でひっそりと我々を見守ってくれていた、今はお寺に引き取られたお地蔵さんに手を合わせました。

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これまで、本当にありがとうございました。そして、ご卒業、心よりおめでとうございます。

地下道及び上屋について。京都市長から回答がありました。

<鴨沂高校の地下道及び上屋に関する質問状に対して、京都市の門川市長よりご返答頂きました>

今月2月2日付にて「鴨沂高校の校舎を考える会」として、京都市側は鴨沂高校に現存する地下道及び上屋の今後について、どのように考えておられるかを、京都市が運営している「市長への手紙」の窓口を通して質問致しました。

http://coboon.jp/memory.of.ouki/?p=5642

そして今月2月24日付にて、門川市長より質問に対するご返答がありましたので、全文を添付致します。

こちら側の質問の要約は、

①これまで京都市による2005年における調査にて「近代化遺産」として評価され、また専門家らも調査報告書にも記載された地下道及び上屋について、京都府の方針としては「地下道は閉塞」「上屋の一部はレプリカで別の場所に設ける」とされる計画であるが、この件について京都市側としてはどのような考えでおられるか。

②本館中央棟については「京都市歴史的建造物の保存及び活用に関する条例」の第一号適用を受けたとされるが、地下道及び上屋に関して、京都府側から保存活用の相談を受けた事があるか。また、それらを拒否する理由は京都市側としてはあるか。

③公道の地下を利用して造られた地下道は、市道である荒神口通下を通っているが、管理は京都市、京都府のいずれにあるか。

が、主とする所でした。

今回の京都市・門川市長の回答を読み解いて最もはっきりとした事は、

①京都市の市道にある地下道ではあっても、鴨沂高校の専用地下道であるために管理については京都府側にある。

②地下道は建造物では無いので京都市の条例にはあたらないが、上屋については先の条例の適用範囲のものである。

③いずれにせよ、京都府側の方針いかんで、この地下道及び上屋の存在の有無については計画が成される。つまり条例の適用を受けるも受けないも、残すも残さないも京都府次第であると共に、現在まで地下道上屋について京都府が京都市側に相談した形跡は無い。

・・・という事がはっきりと分かりました。ある意味、楽観的にとらえれば、この地下道の存在は京都府と京都市の糸引きによって残す残さないの行政間での煩雑なやり取りが無くとも、京都府側さえ英断をされれば、残す事は出来るのだというのは分かった次第です。

果たして。

この明治から今日まで活きた地下道及び昭和初期の上屋の存続は、その希少性を感じ、また方針を打ち出すのは京都府がやはりカギを握っている、という事になります。

議会における予算審議も大詰めの中。とは言えレプリカを造る工事予算は既に計上されている訳ですから、方針の転換にリミットは無い筈です。

全てを取り壊さない限り。

 

「市長からの手紙」以下全文↓↓↓

 拝復 

 京都市のホームページにアクセスいただきまして,ありがとうございます。お寄せいただきましたご意見に,お返事させていただきます。

  京都府立鴨沂高等学校の校舎整備に関して,母校に対する強い思いはもちろんのこと,文化財的価値を有する建築に思いを寄せられるあなた様のお気持ちは以前から度々伺っています。

 今回ご意見を頂戴しました地下道出入口につきましては,ご存知のとおり本市で調査を実施し,一定の文化財的価値を有すると評価しています。

 今回の改築工事に当たって,所有者である京都府では,安心安全な教育環境と歴史的・文化的価値の継承の両立を実現することを基本設計方針として整備が進められており,本市としましては,京都府の方針を尊重し,今回のようなデザインの踏襲による景観的保存も一つの手法と考え,関心を持って見守りたいと考えております。

 京都市歴史的建築物の保存及び活用に関する条例に基づく保存建築物の登録に係る手続につきましては,既存の建築物に対して増築や用途変更などの建築行為を行おうとする場合に,所有者の提案を受けて行うものです。

 2つの敷地を接続する地下道及び地下道の北側出入口上家のうち,地下道については,建築基準法で規定する建築物に該当しないため,本条例の手続の対象とはなりません。

 しかし,北側出入口上家については,本条例に基づく対象建築物の指定手続後,所有者(京都府)から保存建築物登録の提案があれば,保存建築物の登録の可否について判断することになります。その際,景観的,文化的な価値については地下道の出入口であるということも踏まえての判断をすることになると考えられます。

 なお,北側出入口上家について,現時点で本条例の手続についてご相談をいただいたことはありません。

 また,地下道の存続が厳しいとされる条例や法令等はございません。

 最後に,当該地下道の管理についてでございますが,本市が管理している道路(春日緯6号線)を横断しておりますが,京都府教育委員会が管理する京都府立鴨沂高等学校の専用通路となっており,本市において管理はしておりません。地下道の廃止による生徒の道路横断時の安全確保につきましては,京都府教育委員会において,改修工事に合わせて横断歩道の設置など,必要な措置を検討されております。

  今後も,歴史的建築物の保存・活用に取り組んでまいりますので,何卒ご理解いただきますようよろしくお願い申し上げます。

敬具 

平成27年2月24日

京都市長 門川 大作

 

全てを知る存在。

「夕暮れ鴨沂」

日が落ちて辺りが暗くなる頃の鴨沂校舎。荒神口通り側から望む。

こんな光景を不気味と取るか、哀れと取るかは人それぞれだろう。けれど、実像の前の自分には、どこかよその国の、荒れ地の中の孤高の廃墟のように見える。

両腕をもがれてもなお凛としている中央棟と、手前は校舎から切り離された地下道上屋のシルエット。講堂舞台裏側の階段室にある非常灯が、小さく赤く、もう誰も守らなくていいのに灯っている。

撮影している背後は北運動場。サッカー部が練習を終えてトンボで土をならしている。最近野球部を見かけないと尋ねてみると、体裁良く見える運動場は水はけがとても悪く、雨続きだと練習場所として使えないのだと言う。プール棟と旧体育館解体後、もう半年以上経つというのに今だ運動場として整地が果たされていない。だから仮校舎の中庭のような小さな運動場で、テニス部と陸上部、そして野球部がひしめいて練習しているという。約束事だった筈の部活動における他施設でのグラウンド利用は勿論果たされていない。

こんな夕暮れに撮影していたら、鴨沂の同級生が営業車で寺町通りを曲がって来て、こちらに気付いて窓越しに会釈された。数秒止まれない程忙しいのかもしれないし、まあ、卒業後20年以上交流も無く、この2年の間にちょっとばかり同窓会的に逢っただけだから、そんなものなのかもしれない。そう、自分に言い聞かせた頃には進行方向に車の陰さえ追う事が出来なかった。

みんなが観ないうちにも、何かが起こっていたりする。

でも、この眼前の孤高の存在だけは、いつも毅然としている。

そして何でも知っている。

砂の校舎。

<本日の鴨沂高校>

埋蔵調査の掘削土砂がどんどん山積み。

手前の移植されたウィーンの森ならぬ数本の林未満が心配です。

御所側の土手から眺めると、そのうち校舎も埋まるんじゃないかという光景が広がります。