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埋蔵文化財調査の説明会へ。

<昨日の鴨沂>

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昨日は鴨沂敷地内にて埋蔵文化財調査の一般向け説明会がありました。

そのため、もう随分しばらくぶりに校内に入る事が出来ました。

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確か以前、学校管理職の方からお聞きした、「ここらは昔河原だったから何も出て来ないと聞いているので、埋蔵調査にそう時間はかからない(から、工事はスムーズに行える)」とのお話でしたが、やはり、そんな筈は無いのが京都たるゆえんでしょう。

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現地ではおおよそ、校舎東裏側の和室及び茶室あたり、あるいは理科教室、準備室、1年5組から8組あたり付近にあった墓地跡や、おおよそ教室棟全体にあった秀吉の頃の都市計画の一環にて寺町周辺に寺院を固めたとされる寺院の痕跡があらわになっており、堀りたての砂地が風に舞う様子を見渡しながら、どこかまったく違う光景を見ているような、なんとも言えない、そんな気持ちになりました。

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「墓地区画の上に校舎があったんだ」。と、言えばどこかセンセーショナルというか、それとも薄気味悪い気持ちになられる方もおられるでしょう。けれど、当方にはそういう感覚よりもむしろ、思い馳せるのはそれら地面の下に広がっていたかつての人々の生活の上に、これまで多くの生徒が無事に過ごす事が出来た事、そして、校舎南東角(ちょうどこれらの光景を見渡す位置)にあったお地蔵さんの祠は、そしてそこにあった3体のお地蔵さんは、かつて現在の校舎が建てられた頃にこの地から出土したものであったものをお祀りされていた事に、それは昔の人々や自然への畏敬の念と言うか、当時の学校及び工事関係の方々らの思いの深さというか、実はとても意味深い事だったのだという気持ちの方が強く再認識させられました。

が、この地にはもうお地蔵さんは存在しないばかりか、府教委としてはもうよそに手放されたというのも、またこれも意味深い事に思えてなりません。ちなみに、現地説明におられた埋蔵調査の方らからは、そのお地蔵さんの存在も、また手放された事もご存知無いとのお話も聞きました。

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さて、現地では一般の考古学ファンの方々に混じって、多くの卒業生も来られていたようでした。

そこでお話した6期の女性のお話を以下に。

「私たちの頃は戦後間無しでもう滅茶苦茶でした。元々はここは女学校やったんを男女共学にしたもんで男子はおトイレが足りひんからもう大変でねえ。でも、洛北高校の方は元々男子校やったから、そっちじゃ女子はまたおトイレが大変やったみたいよ。それから、私らの頃は北運動場はみな、GHQに占拠されててね。先生らに『あっちへ行っちゃいけないよ』ときつく言われたものでした。私は当時、走るのが得意で陸上部やったんやけど、なにせ運動する場所が無くてね。で、御所の横面で毎日走ったんです。けど、当時は直線で100mもとれへんでね。向こうではラグビー部が練習してるしボールが飛んでくるから危ない言うてねえ。バスケット部さんとか、水泳部さんとか、室内競技の人らは練習するとこがあって良かったやろけどね。思い出せば体育の時間て、あったんか無かったんか、なにせ運動場があらしませんからね。ロクな事してへんかったと思います」。

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様々な学年の大先輩の方らとお話をするのは良いものです。

そして確か、今様の最新的校舎及び教育環境に仕立て上げるための今回の校舎改築であった筈なのに、何故、今にしてまた戦後間無しの頃の、運動場環境に戻ってしまうというのでしょう。眼前に広がる、掘り返されてかつてのものがすっかり無くなってしまった光景と、その必要性が本当にあったのかという問いかけと共に、今度は占拠されたのがGHQから紫野グラウンドに建てられた新設校に成り代わったというのは、あまりに皮肉なお話に思いました。

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さて。この1週間で工事用ゲートを設けるために北側の塀が撤去されていました。が、今の所は地下道へ続く校舎敷地側の上屋は無事でおります。

毎週が変化と困惑の連続です。

ちなみに、今回の埋蔵調査は引き続き、現地で行われるとの事です。

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なんだろこの威圧感。

本日の夕暮れ鴨沂。

寺町側、荒神口側とも窓無し、換気口のみの工事関係者仮事務所がどっかり。

来週からの作業工程表には、

5月25日 本館棟、旧図書館棟事前調査他

5月26日~既存塀解体、ゲート設置工事(西側→北側)

と、記載されていました。

塀と合体した形の本館敷地側の地下道上屋。いかに・・・

大きな壁が出来た。

本日の鴨沂。

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校舎敷地、新体育館や食堂があった辺りに、工事業者の仮事務所、3階建てのプレハブがどっかりと腰を据えました。随分大きなプレハブ事務所。内部からドリル音が今だ聞こえていましたが、恐らく終盤という感じでしょう。やはり拠点たるもの、現在残された校舎中央や図書館を工事中事務所に使うには具合が悪いのでしょうか。本館敷地側の地下道上屋のギリギリに迫る大きさです。

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さて。鴨沂高校の校舎改築等工事進捗状況がようやく、サイト側で更新がありました。

http://www.kyoto-be.ne.jp/kanri/cms/?page_id=41

リンクへ飛ぶと、今後の新校舎完成図のイメージパースを閲覧する事が出来ます。

上空からの図、そして本館中央棟から教室棟、コンクリートで覆われた茶室及び和室、北門側にそびえる体育館出入り口、そして体育館内観及びプール内観と続きます。

この図を観る限り、あの地下道上屋のレプリカと、かつて存在した旧体育館の丸窓意匠に似せた造りが、体育館の出入りに設けられる事が伺えますが・・・これは、本当に既存物へのリスペクトからなる発想なのでしょうか。上屋の意匠に似せたものがそこに存在していますが、似て非なり。これは本物ではありません。

いずれの絵も限りなく爽やか、かつ軽やかで、現実味を感じる事は出来ず、何か、全く違う学校の光景のようにも見えます。皆さんは如何でしょうか?

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本日の北運動場では野球部が練習に励んでいました。

昨日の雨がまだ響いて地面がぬかるんでおり、所々では土を被せた状態の中、という光景でした。北運動場のグラウンド化整備は今だ進まずと言った状況です。

確か以前、議会や保護者会での答弁では週末は外部グラウンドで練習を行える、といった約束事のお話はいずこへ。が、恐らくそれを問えば、「事足りている」との答えでも返ってくるのでしょうね・・・

連休明け。

<本日の鴨沂>

連休中の京都は多くの観光客であちこちが賑わい、道路を走る車も他府県ナンバー多々。山に海に、故郷に・・・だけじゃない、お休みに京都を訪れる方々の多さに、一体何が、この地を訪れる人にとっての魅力があるのか、などと思う日々でした。

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さて、鴨沂の工事も連休中はストップで、本日より再開。が、訪れてみるとまだ、工事現場の仮事務所のプレハブも建って居らず、恐らく、ここに建つんだろうなあというエリアの地ならしのような、小型のショベルカーがガタゴトと音をたてていました。

一方、北門前にあった「埋蔵文化財発掘調査中」の立て看板は外されているものの、どうも敷地ではそれらしい様子は続行中。拠点となっている図書館でも人影が動くのが見えました。

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北運動場では、今年春に部員を増やしたサッカー部と野球部が同時に練習中。サッカー部はシュートの打ち込みのような練習ばかり、野球部もバッティングのような練習のみ。「工夫をして部活動は行って頂く」とのある意味では言葉通り、狭い運動場でひしめきあって練習していると言った様子でした。

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何かが大きく変わった・・・という事の無い光景ではありました。勿論、今だ地下道及び上屋もまだ、残ってはいます。