月別アーカイブ: 2015年9月

鴨沂の足音

<シルバーウィーク、というものが終わって>

秋の大型連休中は、大変清々しい秋晴れが続きましたが、皆さんは如何お過ごしでしたでしょうか。

鴨沂関連ニュースといたしましては、この連休中に京都府高等学校総合文化祭演劇部門・京都府高等学校演劇大会の予選があり、京都府立文化芸術会館にて9月20日には、鴨沂高校演劇部による演劇コンクール出場作品「レトロメトロ」が上演され、観劇してきました。

今回の作品の脚本は、鴨沂演劇部OGが10年程前に書いたものを、在校生部員達が校内で見つけ、自分達で解釈して上演したんだそうです。作者であるOGも、部員らから連絡を受けて数度指導をしたのだとか。このエピソードを伺った時、「継承」とか「繋ぐ」、「紡ぐ」って、こういう事なんじゃないかなあとしみじみ思いました。在校生部員たちの取り組む姿勢の真っすぐさには心から感動しました。

そして今日。

まずは夜中スタートの朝日テレビの「朝まで生テレビ」では、パネリストに評論家で鴨沂卒、以前、卒業生インタビューを快く受けて頂いた潮匡人さんが登場されるとの事で、その名の通りに朝まで拝見しました。その他、パネリストに片山さつき議員や、漫画家の小林よりのり氏、SEALDsの奥田さん・諏訪さん、津田大介氏などなど12名がそれぞれの激論をかわし、安保国会・若者デモ・日本の民主主義というテーマをもって、テレビの向こうはカオス状態でした。

夜。今度は場面が変わって、本日が公演初日。元・鴨沂演劇部からの派生が起源とも言うべき劇団「カイテイ舎」の旗挙げ公演を観に京都市東山青少年活動センターへ。本公演の上演作品は、アリエル・ドーフマンによる戯曲「死と乙女」。2時間に渡る、激しく重いテーマに息つく間も無い程に迫る展開。言葉、設定、背景、熱・・・。圧巻でした・・・。ちなみに、明日が最終公演ですので、是非お時間があられましたら以下リンクにインフォがありますのでどうぞ!

http://ameblo.jp/tod-und-das-madchen/

これほど迄に、人は熱く、言葉や思いを吐露する事が出来る。踏み込んでみて初めて、何か、大きく振動するのを感じるものなんだ。ちょっと違う方を向けば、変わらずのんびりと、青空の下で行楽渋滞の続いた日々の中にも、ドラマというのはしっかりとそこにあるのだという事を、感じずにはいられない1週間でした。

確か、同じ屋根の元から巣立った筈の、多くの元・鴨沂の皆さん。

そう。校舎敷地に足を運びますと、何かが変わったような。何も動きのないような・・・。

自然に包まれて。

<本日の鴨沂>

一雨ごとに秋、とは言いますが、ここの所の雨は、あまりにも極端でした。

甚大な被害がテレビの向こうから流れてきますが、京都は昨日、そして今日とあまりにも爽やかな空の下にありました。

今日は私事、と言えば私事ではありますが、お彼岸前に今は関東に居る同級生と鴨沂で長年に渡って先生をされていた方のお墓参りに行きました。私は初めてでしたが、友人や、その先生が顧問をされていたクラブの部員さんらはよく訪れているそうです。長く鴨沂におられた事、そしてクラブの名物顧問であられた方なので、色んな学年の卒業生がお墓参りをされるのでしょう。こんな風に、亡くなられてなお、多くの卒業生に慕われる名物先生みたいな方がおられた事も、ひとつの大きな、鴨沂らしさ、だったのかもしれませんね。

高台にある立派なお墓は、市内だというのに喧噪から離れて自然に囲まれ、とても平穏な様子でした。

さて。

その後、現在の状況を知らない同級生と、鴨沂周辺、それから部活の朝練で走り回ったという御所を散歩しました。梨木神社境内に建った高級マンションの存在の異端さに同級生は驚きつつ、「誰が買うんやろね」「でも、こういうのがステイタスで住みたいという人が居るんだろう。特に東京方面の人達。そうか、外国の人ら、かなあ。」と言いながら、かつて御所と梨木さんの境にあった、あの両側の木立の抜ける美しさがすっかりと失われてしまった事をなんとも言えない気持ちで眺めていました。

今日は日曜日で鴨沂の工事はお休みでしたが、2週間ぶりの鴨沂はそう、変わる事無く。

写真は御所側の木立から、夕日のシャドウ越しに僅かに見える正門の様子です。

何がなんだか分からない程工事用シートで覆われてしまった校舎達を、せめて木々で優しく覆いたく。

<忘れてはならないピアノの事。> 〜女学校時代から伝わるスタインウェイピアノについて

大阪にある「三木楽器」本社にて大切に保管されているピアノの納品台帳。

創業から190年を誇る老舗楽器店ならばこその確かな台帳であると共に、とうに廃棄されていても不思議ではない古い台帳が今現在まで残っている事に、自社、あるいは楽器というものへの愛情や誇りという名の歴史を感じてなりません。また、戦前から戦中、そして戦後と幾多の苦難を乗り越え、戦中の大阪大空襲にも焼かれず今も残っている事にも、現代人である私たちは思いを馳せる必要があると思います。

そんな貴重な台帳より、この度は鴨沂に残るあの「スタインウェイピアノ」が納品された確かな証拠たる部分の写しを三木楽器様より頂戴致しましたのでご報告致します。

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この写しから分かる事は、

①伝票の日付は昭和11年11月7日

②納品されたのはスタインウェイC型

③納入先は「京都府立第一高等女学校」

④価格は5,376円

「鴨沂の備品台帳に載っていないからこのピアノは誰のものかは分からない」というのが、これまで言われてきたこのピアノの処遇について保留された経緯理由のひとつではあったかとは思いますが、納入されたのがまさしく(当時の校長先生など個人へでは無く)女学校自体にである、という事がこの伝票から分かった、という事になります。

さて、金額のお話になりますが、掲載されているのは勿論、昭和11年頃のお話なので、現代の貨幣価値と比較するには想像出来ないと思いますので、以下、鴨沂にあった昭和8年から13年と同年代頃に建てられた建物の建設費に比較すれば、おおよそ、あのピアノが一体どの位の価値のものであったかが想像出来るかと思いますのでいくつか列挙しておきます。

図書館棟建設費(蔵書や什器・備品代含)が当時約70、000円。プール棟約30,000円。平屋一棟建て木造校舎(当時は「行啓記念館」戦後は通称「和室」)が3,000円。茶室改修費が1,000円(現在の貨幣価値にてあの規模の茶室を改修するには1,000万~1,500万程かかるとは専門家の弁)。

ここから察すれば、ピアノ1台で大変立派な家が建つ、と想像すればいい訳でしょう。当時、和室、茶室、図書館建設の費用は保護者や卒業生、地元名士や市民の方々らの寄付によって建てられた訳ですから、このピアノもそうしたご厚意によって購入されたのではないかとも想像出来ます。

女子が男子同様の権利や自由を与えられていなかった時代において、最高の環境をとの願いを込められた当時の方々らの思いと、その高い志の歴史がこのピアノひとつとっても、詰まっているのではないでしょうか。

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今回、三木楽器様より伝票の写しを頂戴したのと同時に、同じように時代を経て学校という場所から忘れ去られてしまったスタインウェイの修復例で、三木楽器様が関わられた例を3つ、ご紹介頂きました。

①ひとつは神戸の松蔭女学院。昭和5年に購入されたものを平成25年にリニューアル。同校音楽室にて活躍し続けている。また、現在も伝票以外に分からない購入経緯などの情報を、学校側で主体的に探されているとの事。

②また、奈良県立桜井高等学校。こちらは大正12年に購入。明治37年に創立した女学校が原点の高校で、昭和23年の学制改革にて新制高等学校に(この歴史的経緯は鴨沂のそれと同じ)。平成22年に音楽準備室で眠っていたピアノが発見され、翌年に同窓会、育友会等の協力にて復活プロジェクトが企画される。これらの経緯はマスコミにも報道された。多くの方々による寄付金にて修復された。

③最後は、以前もフィードで紹介した事がある滋賀県の豊郷小学校。昭和3年に寄付により購入される。平成24年に公益財団法人芙蓉会(豊郷小建設の際にご寄付された近江商人・古川鉄治郎氏のご親族が主体)による寄付にて大修繕された。

恐らく、あらゆる全ての関係者からどう思うかをヒアリングし、それらを集約して初めて解決を計るにはあまりにも、この鴨沂に残るピアノの今後について、その未来の在り方を模索するには時間も無ければ、まとめように無いように思う今日この頃です。

あのピアノが学校のものであるか否かという議論はそのまま、「では誰が修理するのか」「学校か?」「府教委か?」「あるいは無くしてしまうのか」という地点で立ち往生してしまう(あるいはもう長年そのままで留め置きされている)ように感じてやみません。

こちらフィード発信側の思いとしては、行政による修復に頼るのでは無く、このピアノに思いのある人を探し、繋げ、また考えの在る者達で力を出し合って修復し、あるべき場所である鴨沂自体にて今後も存在させる事が出来れば、と考えています。

そして、あのピアノがどのような歴史背景と共に鴨沂の前身である女学校にやって来たのか、それは私たちの学校のルーツを象徴している大切なひとつの形ではないか?との問いかけと共に、あのピアノがこれまで奏でてきた、美しいクラシックを、時にはブルースを、あるいはジャズを、ロック、ポップス、恐らく誰もが弾いただろう「猫ふんじゃった」までも許容してくれた大きな存在に感謝すると共に、数々の年代を経てもそこに居続けた事、誰かに弾かれた事と同様、今後もまた、その歴史が若い世代に繋げられるのであれば、と願う思いです。

そして、今後はこれまで大事に語られる事の無かったあのピアノの歴史物語を引き継いでゆけば、乱暴に扱われる事も、タバコを押し付けられる事も、また弦を故意に切られる事も、いくら邪魔だと言え激しい西日の当たる場所に追いやられる事も、また忘れ去られる事も、無いのではないでしょうか。

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一人や二人ではどうしようも出来ない事も、多くの思いがあわされば。

是非、思いのある方は声と力を挙げて下さい。

※「三木楽器」について

1825年(文政8年)大阪で「河内屋佐助」と称した書籍業を創業。後の1888年(明治21年)に楽器部を創設し、前年創業のヤマハオルガン等の販売を開始。明治維新によって輸入された西洋の音楽文化が国全体に広まりつつある中、西洋の著名な楽器輸入や楽譜の翻訳、出版業務を手がけます。ドイツ・スタインウェイ社と契約して日本総代理店となるのは1921年(大正10年)の事。ここから本格的に楽器・楽譜類の輸入を開始されます。今年の2015年(平成27年)には、創業190周年を迎えられ、三木楽器の歴史はまさしく日本近代音楽文化の歴史とも言えるでしょう。ちなみに、戦中における大阪の大空襲にも残り、現在も現行の本社ビルとして使用されている「三木楽器本社ビル」は、大正13年、創業100年を記念して新築されたもので、平成9年には国登録有形文化財として登録されています。戦災を乗り越え、貴重な歴史が残ったのにはこの社屋あってこそ、とも言い換えられます。

詳しい沿革史は三木楽器の公式ホームページより↓

http://piano.miki.co.jp/190years