月別アーカイブ: 2015年12月

2015年の年末コラム。報恩とは。

年末。

年賀状を送った矢先に、大切な方が天に召されたというお知らせを頂く事があります。

今日は、この度の鴨沂校舎の件では大変お世話になりました建築家の方の、お葬式に行ってまいりました。

2013年の事。

鴨沂校舎が夏にも、何もかも全て壊されてしまうというカウントダウンが始まりました。

その時。誰にどうして何を訴えかければも全く分からない、そして何のコネもなければ専門的な立場の方との繋がりも全く無い中で途方に暮れながら、けれども、いてもたってもいられずに方々に声を掛け、また失礼も顧みず、藁をもすがる思いでメールなどを送り続ける中での事。

大阪で行われた、建築に関する保存活用の運動をされている、各団体の方が集まる建築サミットに、声を掛けて頂きました。まさかまるで、こちらは組織立ってもいない頃の事です。

「メールは頂いていたのは承知していましたが、まずはあなたがどれだけ本気でいるのか、またあなたがどんな方かも分からないので、直接お会いしてお話したいと思っていました」と。

そして、「あなたがどれだけ本気でおられるのか分かりました。協力出来る事は全力で協力しましょう」と言って下さった、その方との出会いの瞬間を、今もけっして忘れません。

それから、その方は、鴨沂に全く縁もゆかりも無いにも関わらず、梅雨の最中の激しい雨の降る中、わざわざ遠方からお越し頂き、一緒に校舎を見て、そして色々なお話をして下さいました。

私がその方の語り口をとても心地よく覚えているのは、それは鴨沂の校舎に関して、歴史的背景も勿論ですが、この校舎をかつて使っていた、我々の側の感じていた居心地という点について、よくよく理解して下さっていた、という点です。

「周辺環境とも調和があり、建物の風通しも良く、採光もしっかり考えられていて、それは全てが何もかも明るいという訳で無く、陰影と明るい場所のコントラストがある所という点でも場面の変化に富み、この建物の設計者は本当に、学校建築というものの環境について、よく考えて作られたと思いますよ」と、いった言葉でした。

それから、あの階段の組み方がどれだけ凝っているかを嬉々として説明頂き、あるいは先に発表されている建物強度に関して、全面解体という選択には率直に疑問を感じる事、また、これらを無くしてしまっては、取り返しのつかない事などを色々とお話下さいました。

その後、ご自身が代表をされている協会の部会から、京都府庁まで直接出向き、保存要望書を京都府の山田知事宛に提出して下さいました。

それは夏の事で、外に出るのもうんざりするような真昼の事でした。

提出後に出先からお電話を下さり、「保存要望書など、紙切れ一枚の事かもしれませんが、我々はこうした要望書の1枚を提出するだけでも、命をかけて出しています。だから今後も諦める事無く、あなたも頑張って下さいね」と言われました。

命をかける。

この言葉を受話器越しに聞いた時にドキンとしました。

同じく建築に関わる他方の方らにとってみれば、決まったシナリオを無しにする事、校舎を残せと言う事、わずかな改修で今後も使用可能と言えば、諸々困る人もおおぜい居るでしょう。同業の異なる意志の方らにとっては、時には大事なお客さんにもなるかもしれない発注側の要望とは全く反する意志を、専門家が持つという事はつまり、どういう事を招くだろう。・・・そう考えると、とてつもなく申し訳ない気持ちと共に、そうまでしてもお力頂くのだから、自分も精一杯、出来る事をしなければならないと、強く感じた瞬間でした。

「なりふりかまわず、危険でボロボロの建物を、歴史的建物の保存などあげたてまつるとは何事ぞ。」「軽い気持ちで無責任にも文化的な事を言い回って、結局は自分自身のステイタスを上げるつもりでいるなら許さず」など、一方では多く中傷された時期でもあり、私にはその時のその方の言葉は、むしろ大きな支えにもなったのでした。

こうした事をきっかけとして、専門家の方々や、直接に関わりの無い方々らのご尽力を数多く頂き、まるで当たり前のように、そして静かに知らぬ間に壊されてしまったかもしれない鴨沂の校舎は、新聞やテレビなど、世間に大きく知って頂く事が出来ました。

しかしまさか。

まだお若く、あれほどまでにエネルギッシュで、ご自身の活動でもテレビに、新聞にその活躍のお姿を拝見し、そして、ご自身の地元である滋賀・近江八幡に数多く残る、あるいは解体の危機に瀕した廃墟同然の歴史的建造物に私費を投じて買い取ったり、周囲の住民達と一体となって改修を行ったり、未来に向けて子供達へのワークショップを行うなど、地道に、地域の宝を守るという、まさしく主旨一貫した生き方を実践されていた方の活躍をこれまで拝見していましたので、突然の訃報に、まったく言葉が見つかりません。

いつも何時も、きっとやむにやまれぬ思いで、心から、建物と人間の関係について尽くされたこの方の、心からのご冥福をお祈り申し上げます。

しかしながら。失って。ようやく思うのです。

人間というのは、思いがけずその命を終えてしまうのですが、確かに有形のもの。いつかは無くなってしまうというのは本当かもしれないけれど、例えばこの方がこれまで造り、または守ってこられた有形物である建物というものは、その後継承する我々の志ひとつで、人間の寿命よりもずっと長く、大切に、次世代へと繋げる事も、出来るのだと。

もしもこのフィードをいつも御覧頂く方の中で、あの鴨沂の校舎の例え一部であろうと、あるいは正門が残された事についてほっと安堵されている方がおられましたら、ここにこうして、陰ながらもご尽力頂いた方々の存在があってこそ、という事もお知り頂き、また手をあわせて頂けましたら大変ありがたく存じます。

2015年がもうすぐ終わろうとしています。

慌ただしい年末。ふとすれば生活や仕事に追われ、不景気も続けばつい、自分の事だけで精一杯の日々になりがちですが、自分には関わりが無い事と言い訳をせず、いつかきっと必ず、立派な先人の方々に見習った生き方を、またご恩を大切に、次世代へと繋げられる人間になりたいと思う毎日です。

皆様にはどうぞ、良いお年をお迎え下さいませ。

FBページ「鴨沂高校の図書館」さんより全文引用。

本日、鴨沂高校生向けに「鴨沂高等学校(荒神口)校舎改築工事の遅れについて」と題した紙が配布されました。これによると、基準値を超えるヒ素が検出されたため、校舎の完成が平成30年の夏頃まで遅れるとのことです。地下水に影響がないとのことと、土を食べても健康に影響がないということが強調されています。記者発表もおこなわれたようで、明日の朝刊には掲載されるはずです。

この紙に書いてあることには、多数の疑問が残ります。

①ヒ素の検出がわかったのはいつなのでしょうか。

②どの場所から出たのでしょうか。

③どの深さから出たのでしょうか。シンクロ用可動式プールや地下駐輪場建設の影響はあるのでしょうか。

④オープンスクールやパンフレットで、新校舎の建設を目玉にしていたことについてどう考えるのでしょうか。

⑤鴨沂高校新校舎の完成予定が「平成30年夏頃(当初平成28年末)」とありますが、聴取会議や設計図のコンペをしていた頃は、「平成28年夏」に完成予定だと府教委から発表されていました。その後、完成予定が遅れて「平成28年末」に変更された経緯があります。このため、当初予定は「平成28年夏」が事実です。記者発表の内容次第では、発表を鵜呑みにした新聞各社が横一列で「当初、平成28年末には完成予定だったが~」といった誤報を出す可能性もあります。あえて、当初完成予定を「平成28年末」と記載した理由は何なのでしょうか。

http://http://www.kyoto-be.ne.jp/kanri/cms/?action=common_download_main&upload_id=154

http://www.kyoto-be.ne.jp/kanri/cms/?page_id=19

⑥1年半も校舎建設が遅れる理由が、ヒ素検出だけなのかという疑問があります。京都会館の建替えでもヒ素(最大値0.055mg)が検出されましたが、完成は遅れていません。鴨沂は1年半の遅れ。単純に比較することはできませんが、差がありすぎます。この違いは何なのでしょうか。

http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000160751.html

http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000122424.html

⑦「平成28年夏」から「平成28年末」への遅れの理由は、埋蔵文化財と説明されました。今回の「平成28年末」から「平成30年夏」への遅れは、ヒ素が原因だと書かれています。他の理由は一切ないのでしょうか。他にも原因があるならば、すべて公開すべきです。「すべてヒ素のせい」ならば、「仕方なかった」「想定外」につながります。本当にそうなのでしょうか。

これらの件で、府教委に何回か電話していますが、担当者がいないとの回答しかありませんでした。